ASDのただの主婦

       ASD診断前から診断後も続投ブログ。ASD目線だからこんな思考だったと後からわかるの巻。

お墓参り

写真は旦那が買ってくれた「富士山土産のサンキャッチャー」である。

天蓋(蚊帳)に下げると可愛いが、クリスタルなので落ちてきた時の破壊力もデカい。

太陽の光を集めて運気を取り込むアイテムなのだが、私は視覚過敏で光に弱い…。

睡眠が浅くて悩んでいるのを知っていて「良かれと思って」買ってくる。

 

旦那はこうやって「うっすら嫌がらせをしてくる」(無自覚)事が多い。

相変わらず噛み合わない。

 

今日はお彼岸なので家族とお墓参りへ行ってきた。

うちのお墓は都内のど真ん中にあるので、車で行くと逆に面倒くさい。

今日も「お彼岸できている人」と「観光客」が入り混じり、混雑していた。

 

上の姉妹兄が小さい時、「お墓参りへ行くよー」というと「えー↓」だった。

お墓は別に楽しくも何とも無いし、子供にとってはつまらない。

我が家は変に迷信を信じていたので「絶対転ぶなよ!」と言い聞かせていて、内心ドキドキだったのかもしれない。

 

前の旦那の実家は新潟で、お墓参りのときはみんなで提灯みたいなものを持って親戚一同ゾロゾロと歩いてお墓へ行った。

お盆では送り火を焚いたり、灯籠があったり、ナスやきゅうりに足をつけたり。

色々やっていたので子どもたちは楽しかったようだが、都会のお盆やお彼岸は「お参りにいけば良い方」ってくらいのスタンス。

 

なので何か文化として興味を持ってほしくて、毎回持って行く「おはぎ」やお供え物を、お参りしたあとに指でちょっと削って細工をしていた。

 

お墓参りが終わると、

「ほら…みんな見て。おはぎが”食べてある”よ!」と言って子どもたちに見せたのだ。

 

長女と長男はすぐ信じて、「すごいー大きいじいちゃんが食べていったんだねー」とか乗っかってくれるのだが、次女だけ「ママ?」とか言いやがる。

 

我が家の長女と長男は純粋なので何でも信じてくれたけど、次女の場合「サンタ」のときも真っ先に疑ってきた。

でも、そうやって子どもたちの気を紛らわしたりして連れて行っていた。

 

お墓って賛否両論あるけど、「家族の拠り所」なのかな。

お墓に集めるとしたら親族だけだし。

 

私は両親とも上手くいかないので、同じお墓に入る気はない。

かといって、「新たなお墓を所有する」つもりもない。

 

結局「終わったあと」って、残された人の管轄になるわけだから「管理する人」が順番にやり方を変ればいいと思う派。

しいていうなら自分の希望は「散骨」だ。

「跡形もなく」してほしい。多動だからその場に留まりたくないし。

 

こればっかりは色んな考えがあるから、「私の場合」でしか話すつもりはないが、正直墓守が私の番に来たとき、墓仕舞いして全部サラにしようと思っていた。

 

私の考えだけど「家族をその土地に束縛したくない」という気持ちがあった。

 

でも最近はちょっと変わってきて、指標があることで家族の感謝の矛先が同じ方向に向き合い、集うきっかけにもなる。

各家族という考え方もいいけど、「自分が存在する経緯」や引き継いでいくべきものってやっぱりあったほうがいいのかなと思い始めた。

 

例えると今までは「実った実は他のところで根を張って”別の木”になっていく」で良いと思っていた。

でも今は「幹があっての枝分かれ」であって、そこから「”1本の木”を育てていく」という考え。

 

死んでしまったら目に見えないし「想い」の範疇ではあるが、それを可視化したのが「お墓」であって、そういうものがあるのなら「過去を守ること」も大切なのかもしれないと思い始めた。

 

私自身は両親がお墓にいると思うと、心が苦しい。

悲しくみじゃなくて、PTSD的な理由で。

 

機能不全家族での経験は、両親から離れて27年以上経った今でも継続している。

こんな状態でお墓に行くたんびに心が「当時にタイムスリップ」していたら、治るものも治らないんじゃないか。

両親からの呪縛っていつ解けるんだ?という漠然な恐怖に陥ってしまう。

 

だから「私の代で全て終わらせよう。負の思い出は私が全部持って逝こう。」

 

と、決心していたわけだが、落ち着いて考えたらこれは「私の場合」での考えであって、別に私の子どもたちは「何もされていない」。

私が真っ更に片付ける選択も一理あるが、我が子の代になったときは家族が4つに分散するわけだ。「もしかしたらあったほうが良いのかもしれない」と思えた。

 

そこ(墓)に母親も父親も入らないけど、先人がいてくれたおかけで今がある。

神社みたいな意味合いで存在するのであれば、親族が今後も集まる理由付けにもなる。

 

お墓を守るって、そこそこ面倒くさいしお金もかかる。

でも、その文化がどこの国でもそれなりに続いているのにはきっと意味がある。

 

引き継ぐ側に無理はさせたくないけど、自分たちのルーツとして何か心に置いて未来を築いていってほしいな…ってちょっと思ったりもした。

その先はその先に任せてみようかな。