先日、小学校で「保護者たちの勉強会」なるものが開催された。
要は「子育てに対する疑問とか相談事」などをグループディスカッションし、発表するというもの。
私はもとより「人前が苦手」であり、発表も「赤面」して震えてしまうので大の苦手だ。
でも自宅とか自店とか「テリトリー内」だと流暢に喋る。
旦那の前なら息もしないで喋り倒せる。
ただ、アウェイでは「できないから挑戦する」意味で、こうやって開催されるものには全て参加するようにしている。ショック療法的な。
私にとっては「治療行為」なので、内容とかどうでもいい(コラ)
そもそも「第一子」が多いクラスで「四人目(+孫)」の私が「子育てに対する疑問とか相談事」を言えるか。
今更疑問をぶっこんだら「…26年間も子育てしていても、なお解決しないんですか!!??」と、絶望的な気分になってしまう。
まあ子育てなんか「解決はしない」が答えだが。(深い)
毎回参加メンバーが違うので、「自己紹介」から始まる。
「自分のこと」を言うだけで毎回ビビられる私。
ASDだとかは言わないけど。
こんな場所で実は「障害者ですた」とかバレたら、もっと「本質をどこにおいていいか」路頭に迷う。
嘘をついたほうがいいんだろうか…毎回悩む場面…。
一通りディスカッションするが、当然孫までいる私の見解は「全て正解」みたいに思われる。質問が飛び交うのではなく、私が集中砲火を食らう。
…子育てって年月だけじゃないんだがな。と、結論づいているので、自分も「10年ぶりに子育てを再開した初心者」(末っ子が10歳離れなので)だけに恥ずかしい。
一生懸命「もう忘れちゃって…」と健忘アピールするも、「謙遜しないで」みたいにいさめられる。
謙遜ではない。「なぜ同じラインに立たせてくれないと憤って」おる。
困ったなーと思っていたら、グループ発表になってしまった。
代表者が前に出て、話し合った内容を全体に説明するのだ。
とたんにみんな下を向き、その中の一人が
「私こういうのダメ!じゃ、あとはお願いします!」と私に降ってきた。
「26年間も子育てしていたら慣れたもんでしょ?」みたいな言い方。
…慣れないから来ているのだが。
「空気変えてやろうか??出すぞ?障がい者手帳?」(使い方な)
とか思いはしたけど、そもそも私も「治療目的」なので突っぱねる理由もない。
自分のためにもやろう。と、頑張って前に出て発表した。
マスクがあれば表情がわからないので、とりあえずはできた。
緊張したけど、「できるようになりたい」ので頑張った。
席に戻ると「流石です!完璧です!」とか囁いてきたので、
「あ?」と言ってしまった。
こういう人ってどこにでも「ある程度の割合で必ず存在する」が、「パレートの法則(2:6:2or2:8)」などと同じ解釈なんだろうか。
アリで例えると、全体である10のうち2は働くが残りの8は「その他大勢」である。
このときの「その他大勢」である8だけを集めて「10(全体)」とすると、また2:8に分かれる。
つまり「その他大勢が、コミュニティーを変えるだけで動く」のだ。
このように、「キャラの濃い人」ってある程度の割合で「自然発生」するんじゃないか疑惑。
アリンコみたいに「あ、私ここでは働きアリだ!」みたいに野生の血が騒ぐと言うか。
「元来のキャラ」が等分に分配される確率のほうが奇跡なんだから、「自然発生」のほうがしっくり来る。
じゃあ、今日の私はこのグループでの「レジェンド枠」か。
残りは「傍観者」だなーと、思い始めたら「はめて来たやつ」よりも「傍観者のアンタたちは何しに来たんですか?」と、いう理由のほうが気になってしまった。
参加は「任意」だからだ。
こういう視点で他人を俯瞰視することが多い。
はめて来たやつに対しても、「この中での役割を担ったんだから存在意義はあった」と解釈して許してやった。
コイツが別のコミュニティーに加わった時に「同じキャラ」がいた場合は「傍観者」にジョブチェンジするのだろう。
確かに私より「子育ての匠」みたいな人物がグループ内にいたら、
私もそっと「貝になる」。
グループって面白いなって思った。