ASDのただの主婦

       ASD診断前から診断後も続投ブログ。ASD目線だからこんな思考だったと後からわかるの巻。

子育てでのピンチ

くら寿司×ちいかわコラボの第3弾をもらってきた。

食べるのしんどいので全部持ち帰りで予約をして、うな重とかで金額を増やしてようやく全種類揃った。長い戦いだった…。

ご飯はタッパーに分けたので、夜はうなぎ(中国産)3枚重ねで贅沢食べだ。

 

先々週の水曜日、久々に次男が体調を崩した。診断は「胃腸炎」。

 

腸炎は潜伏期間が1〜2日で、この日クラスで10人発症した。

食中毒かと思ったけど、次男のクラスだけだったので月曜に誰かが持ち込んだっぽい。

 

早朝から吐くは下すは丸一日てんやわんやだったのだけど、翌日には薬が効いたのか元気になっていた。

でもウィルスだから数週間は排出されるし、最低でも3日は休まないとならない。

「元気に出席停止」家庭内地獄の始まりである。

 

次男が発症した日は早朝4時くらいに、2階の私の寝室で寝ながら突然吐いた。

こんなの何回も経験済みなので、速攻横を向かせて出し切り、風呂で洗って着替えさせて、おふとんの始末をして1階に寝床を移動させて、洗面器とお水を用意して横になっててもらった。

その間、風呂場で一通り汚物を落として洗濯機2回まわして干して、こまめに水分補給させて…6時過ぎる。全部一人での作業。

 

自分の仕事のお休みを連絡しながら電話口で頭を下げ下げ。

まだ「胃腸炎」と判明していない段階なので「お休み期間も不明」と伝える心苦しさ。

ここから私に感染していたら休みはズルズル延びてしまうのだ。

 

うちは個人事業主なので、私がアルバイトさんに頼めば「どうにかなるっちゃなる」。

でもお友達の家は「夫婦で正社員」なので、子供が病気になると「どちらが休むか」出勤ギリギリまで腹のさぐり合いに突入するそうだ。

 

話し合い中にうっかりトイレにでも行こうもんなら、その隙に相方は逃げてしまう。

これは色んな意味で気が重いな…って思った。

その間も子供は苦しんでいるのだ。

 

うちは私が休むので、旦那と長男を「居間」に入れないように封鎖し、送り出す。

8〜9時には学校に電話して、学童に電話して、小児科の予約を取る。

合間に「習い事」関係にもお休みの連絡。後に「振替」の手続き。

 

車で病院へ向かって9時前には受付を済ますも、20番目だったので車で待機。

 

このとき「コロナ&インフルエンザ」が市内で大流行していて、病院はその患者さんでどこも連日大フィーバーだった。

次男は発熱も咳もないが、確実に免疫が下がっているため「もらってしまう」のが怖くて車で待っていた。

 

でも付属の駐車場はいっぱい。9時の時点で「70人待ち」の地獄。

病院内の個室も発熱者で全滅。待合室はもはや自転車組が「立って待つ」状態。

 

こんなところで順番待ちしてられないので、走って1〜2分の場所に車を止めて受付をするときもお勘定のときも一人で「車と病院の区間を全速力で走った」。

他の親御さんも待機場所がないので走り回っていた。

 

その後の薬をもらうときも同じ。

腸炎でお腹に爆弾をかかえて「いつ吐き散らすか不明」の次男を連れ回すわけにもいかない。

駐車場を拠点に、走って処方箋出しに行って走って車に戻って待機。

連絡をもらって、走って薬を貰いに行って走って車に戻る。

 

これって子育て中の方はもれなく経験する「ピンチ」である。

 

この状況下に陥ったことのない人には、こんな行動を「非常識」と言われる。

頑張っても頑張っても「自分が倒れたら自分でどうにかしないといけない」。

 

もちろん「仕方ない」とは思えない。「非常識」の意味もわかっている。

始終「どうにかならんか」と考えてはいるが、「一刻も争う」自体なので「どうにもならない」。

 

「病人を連れて行かないと診察できない」わけだが、「病人を外に出す」って本人の負担はもちろん、他の人にも迷惑をかけてしまう。

なので最低限「接触をしないように」配慮を周りにして、一刻も早く自分の子にも薬を飲ませてあげたいと考える。

 

救急車は呼べないレベルであるのに「始終ゲーゲー吐く」とか「高熱でフラフラ」なわけだ。「薬をもらうまで」という短時間ではあるが、「人に迷惑をかけないようにこれと行動をともに」しないといけない。

 

つまり散々脳内で格闘した結果が「これ」なのだ。

端から見ていて「ああすれば、こうすれば」はわかるが、これが現実なのだ…もう責めないでほしい…。限界はある。

 

子供に申し訳ない気持ちと、何かあったら…という恐怖を抱え、「どうしたらいいかわからないい」のがその時の親の本音。それでも立ち止まることなんかできない。

 

病気なんか運だし、子供にも罪はない。天災と同じ有事なわけだ。

その対応に理想はあっても実際正解なんかない。「結果」しかないのだ。

 

突然押し寄せる自体に対し、即時動けば午前中で事は済む。

とにかくこの「午前中」はどこの親も必死。

 

こんな経験、子育てをしているとあると思う。

しっかり「感染症」であるにも関わらず、下手に「生死に直結しない」だけに「これは”軽症”」と判断し、人に頼ることを躊躇してしまうのだ。

でも、これも自分本位ではなく「もっと大変な人を配慮しての判断」である。

ゴキブリが出たくらいで救急車を呼ぶ輩より相当冷静に考えている。

 

これに加えて「幼い兄弟がいる」場合、その弊害は二乗じゃ済まない。

それこそ一緒に連れ回さないといけないし、同じ症状であったらもっと酷い。

子育て支援に頼れ」とか平然と言う人もいるが、咄嗟にそれができるならお前はそうしろと思う。

 

子供って熟年離婚くらい「前兆がない」。

今遊んでいたのに突然吐き始めたり突然発熱して、突然ぐったりするのだ。

タイミングだって休日もあるし、時間だって早朝だったり真夜中だったり。

なぜだか大抵「社会が休む」時間に合わせてぶっ倒れる。

 

色んな情報に囲まれ、前知識だけは肥大するが「理想通り」に行かないのが子育てである。結局「現場の判断」で即座に乗り切らないと、今よりもっと大事になってしまう。

 

どうにかしてでも初動を切り抜ければやりようはあるのだ。

だから親はみんな必死に子供を守るために「ちょっとズレて」しまうんだろう。

で、そのことに対しても「申し訳ない」自覚があり、堂々巡り。解決はしない。

 

今回の私も後ろめたい気持ちで走り回って、精神的にも辛かった。

 

親は「自分のことは自分で消化」しないとならない。

やらかしたらその責任も自分で背負う。

子供が辛い思いをしているのに、私も辛いとか言えない。

 

何十年子育てをしていても、どれだけ備えていても「とりあえず病院には行かないといけない」わけだからもどかしい。

 

そしてこっちが色んな弊害で精根尽き果てているのに「子供は回復が早い」地獄。

スゲー寝たな。と思うと、ケロッとして「お腹すいた」とか言うのだ。

 

…食欲戻って良かったね…母さん、食欲全く無くなってしまったけど…

 

子どものペースに私が追いつけない。

更に元気といっても「完治」ではないのだ。

子供なんか発熱で38度くらいならゲームしてマンガ読めるくらい「元気」だ。

私はその横で「36度程度」で死んでるのに。

 

その期間が辛くて仕方がない…もちろん初動で大抵のことは解決しているので、ここからの数日間はネットスーパーや旦那を使って、一歩も外に出ず乗り越えられる。

 

でも子供は「病人」なのだ。

元気でもいつ急転するかも知れないし、「薬で抑えられているだけ」かもしれない。

 

私も最早「病人寄り」だが、あっちの「病人」を看ないといけないわけで、トイレごとの消毒も、体を拭いてあげたり着替えさせてすぐ洗濯機回したり、食事だって旦那と息子のスタミナバージョンと次男用の消化の良いものと作り分けないといけないし、薬の管理もある…。

 

私のほうが健康なはずなのに、病人より白い顔をしている…。辛いと叫びたい。

 

例えば数日後、私が「胃腸炎」をもらった場合…。

また「3日くらい休みます」と頭を下げて、ゲロとゲリを我慢しながら一人で病院へ行って、一人で並んで、一人でお薬もらって、男子2人に各家事の指示を私が飛ばす…。

 

一回意識を失ったほうが楽な気もしてきた。

 

これが「大病」なら救急車を呼んだり、旦那に休んでもらうけど「胃腸炎」って実害ある割に「コロナとかインフル」に比べると軽視されそうな予感。

「妻が胃腸炎で休みます」は社会では通用しない気がして頼れない。

結局自分ひとりでどうにかしないといけない。

 

結婚して家族もいるのに「陸の孤島

 

旦那が倒れたときは私が車を出して通院を手伝って看病したがなぁー!