「三体」というドラマを見ている。
中国のSF作家さんの作品で、「DARK」並みに難解な予感。
「DARK」はドイツのドラマ。
向こうのドラマが毎週やるのか月一なのか知らないが、映画並みのクオリティでとんでもなく面白い。
ああいう作品を見ていると、「日本…ッ!!」ていつも思う。
ただ、シーズン1は「キャストの顔と関係性を覚えるための修行」だと思ってほしい。
忍耐なのだ。
「三体」はまだ見始めたばかりなのだが、マルチバースもあって面白い。
途中「大量殺害」シーンがあるのだが、かなりクレイジーで身の毛がよだった。
「CUBE」や「バイオハザード」でもあったが、私的に最も恐ろしい死に方。
ウォーキング・デッドみたいに全配信が始まってから観ればよかった。
配信を待ってるうちに忘れてそう。
マルチバースの世界観を描いた映画といえば「エブリシング・エブリウェア・オール・ワットワンス」が記憶に新しい。
相当気合を入れて観ないと、あっという間に置いていかれて取り残される作品。
2時間超えの映画なので、かじりつくのに必死だった。
頭を真っ白にしたい人におすすめ。
これらの「作風」って、ファンタジー寄りなSFであって、かなり独りよがりな芸術作品だ。
この思想や概念を持ちつつ制作にあたり、日々ブレずに生活をしてる原作者は相当変人だと思う。
観る方はこれを「作品」として評価をしたり「エンタメ」として楽しむわけだが、精神障害者の思考と何が違うのだ。という表現も多彩である。
それを理解するということは、もはやみんな「こっちより」何じゃないかと思ってしまう。いらっしゃいませ。
例えば思想概念の強い妄想性障害の方が、自身の頭の中で作ったストーリーを具現化したら「エブエブ」みたいに出来上がりそう。
社会で評価されれば「偉人」で、されずに叫んでいれば「異常」なんだろうか。
出たもん勝ちみたいだ。
例えば昔の画家はゴッホであれ、ムンクであれ「障害者だったんだろう」と言われている。他にもアインシュタイン、エジソンだってADHD疑惑がある。
でもどの人も世界的にとんでもない「評価」を得ているわけだ。
じゃあ「ADHDって天才ばかり?」というとちょっと違う。
脳の偏りがあるのが発達障害なので、たぶん「何かに秀でている分、肝心な部分が抜けている」わけだ。
この「抜けている」に焦点が当てられると「のび太」扱いで、秀でている部分が目立つと「出木杉」なのだ。
なので、今の子育てで発達障害を早期発見する意図として、「この子に最適な分野はなんぞや」と、探させることも目的の一つらしい。
実際、知り合いのADHDのお子さんを持つお母さんは「その子が興味を示したもの」を、全て体験させているそうだ。
でも悲しきかなADHD…マッチしないとすぐ飽きる。
自分もそうだから何となく分かるが、多動があると「継続」が難しい。
ただ、「何か欠けている分、なにか長けてる」ということだ。
その長けている部分の視点や捉え方が私みたいに独特なので、「定型発達者」からすると「新しい風」であり斬新に思えるのだろう。
ともすると、この先「現状維持重視」でのっぺりしそうな未来を変えていくのは「発達障害者」なのではないかな。っとちょっと思ってしまう。
事実今までの歴史を見ても「変化」をもたらせた方の中で「そういう方」の割合がとても多い。
障がい者手帳を与えて「とりま自分でどうにかして」じゃなくて、然るべき機関を作って囲んで研究していったほうが未来に繋がるんじゃないだろうか。
今は「アレンジ」する力はあっても「創造」する力のある人が少ない気がする。
「答え」に直結する学びばかりだから仕方ないが。
横一列の社会は統合しやすいんだろうが、飛び出ている異物も拾い集めて利用してほしい。
最初は大変だろうけど、絶対役に立つと思うんだけどな。