自分に「推し」がいなくて「同担拒否」という言葉を初めて知ったとき、
単純に「みんなで好きなものを応援したほうが楽しいじゃん」と思っていた。
でも自分に「うさぎ」という推しができて、奇しくも「拒否る理由」がわかってきた。
まず第一に「嫉妬や独占欲」という自分主義な考え。
次に「解釈違い」という共有できん問題。
一緒にワイワイ語り合おうぜ!って目的の場合、「同担」は辞めたほうが良いと思う。
とくに女子。
私は「うさぎ」に恋愛感情なんかない。
好きの理由は「かわいい、癒やされる」のはもちろん「いちいちツボ」だから。
でも、この「ツボ」解釈が自分と違う相手の意見は聞きたくない。
なぜなら「新しい世界を開拓するため」に語り合いたいわけじゃない。
自分の好きなものを語り合う意図としては「同調」しか求めていない。
単純に「趣味趣向」であり「自分が今好きだから好き」なだけだ。
これに相手の意識が介入され始めたら自分の世界に踏み入られたようで、単純に「排除します」となる。
更に「でも、私はこう思う」とか思想を否定された上に自身の解釈をねじ込んできたらマジでムカつく。
好きである「象徴」が「今たまたまコレ」であって、夏にはすっかり毒も抜けているかもしれない。
いうて「命をかけているわけではない」ので、「その時、満足すればいい」のだ。
私が今推している存在はただの「キャラクター」であって、そこから得るシンパシー的なものって、個人個人違うわけだ。
そこに感情移入したり、自身を投影するのも勝手。
自分が納得する解釈であっても自由。だから好きなのだ。
これは「私の考え方」であって、もちろん「何かを媒体に人と語り合いたい!」
とか、「一緒に共有したい!」もあっていいと思う。
ただ「私はそうじゃない」これが「同担拒否の理由」なんだろう。
もしこの対象が異性の俳優やアーティストやアスリートなど、「実在する人物」だったら…恐ろしい勘違いや妄想が想定されてもおかしくはない気がする。
多くは判別できるだろうが、判別できない人もいる。怖くないのかなって思う。
これって「恋愛商法」と何が違うんだろうか?
「触れない、会えない」だと合法なんだろうか。
…そうしたら会えるアイドルとかメイドカフェはアウトでは。
…夜の商売と同じ解釈なのかなぁ…どちらにしても私には未知。
この「好きの象徴」という考えだと「アイドル」って超絶アイアンメンタルだ。
自分を指標とした現人神なのだ。
アキバへ行けば「ヒトラー並の狂信者」だってゴロゴロいるだろう。
「推し」って人間の「欲望」を上手く取った商売で、境界線があいまいだ。
仕事では「現実に存在する」のに、ファンにとっては「象徴」でもある。
本人に意思があるのに、周りは勝手に解釈する。
私には想像できない範疇だけど、単純に「まともな神経でやっていけるんだろうか」って感じはする。今は特にそう。
でもYouTuberみたいに自ら晒している人もいるしな。
人を理解するって難しい。