今日もキックボクシングへ行ってきた。
私より年上だろうという人が、へそ出しスパッツ履きでめっちゃかっこよかった。
サンドバッグにパンチが当たるときもいい音するし。ああなりたいなー。
私なんか「だだっ子パンチ」だ。…まだ3回めだしな。
先日、新しいママ友に誘われて4人でご飯を食べた。みんな30代。
私は発達障害者なので自分でいうが「見た目だけは若い」。
諸説あるが、発達障害者は色白で表情が動きにくくシワが少なくて「趣味が幼い」傾向にあるため「若く見られがち」の人が多い。
…案の定、話の流れで年齢を言ったら全員「やっちまった」感が顔に出ていた。
すいませんねババァで。
みんなで学校の話になった時、「二者確認」が始まった。
「これでいいよね?」「この日だよね?」みたいなもの。
みんな思った以上に「何も覚えていなくて」驚いた。
確かにこの時期の配布物は多い。
私は一つ一つ読んで手帳に書き起こしているので、少なくとも「入学式が始業式の後か先か」くらいは口頭で尋ねられても返せるくらい把握している。
でも私以外みんな「え?どっち?」「そんな連絡きたっけ?」と、こぞってスマホを取り出した。
…あなた方の脳みそは「そちら側」ですか?くらい違和感があった。
自分がASDで記憶力が良いからと上から言っているのではなく、単純に「どうした!?」と危機感を感じた。びっくりしちゃったのだ。
その後の会話でも始終スマホをいじりながら「整合性」を確認しつつ喋る。
の、わりに何にも覚えていない。
正確には「調べればわかるから覚えない。」
これから先の時代、これに合わせるのか…。
定型発達者に合わせるだけでも大変なのに。
逆に「この先もガラケーでいたほうが良いかも知れない…。」と、着地してしまった。
そもそも私は発達障害者で、脳の構造的にできないことも多い。
だから自分で考えて行動したいので、最低限のツールがあればそれでいい。
私の状況が特殊なので別にガラケーを推奨しているわけではないが、「思考が変化している」ということに気づいたほうが良いと思う。
誰しもスマホが本体ではないはずだ。
更にLINE上で「今後の話し合い」がされていたそうで、内容を知らない私は聞いてみたのだが「あれ、どうなったんだろうね?」「誰かが話していたけどね。」で終わった。
中には「あんまり関わりたくないんだよねー」と言って、アンケートすら参加しなかった人もいた。まあ、私もだが。
こういう風潮の中で、「LINE内での話し合い」って有効なんだろうか。
ある程度話をまとめてから「選ばせる」方法でないと、誰も参加してこない。
なんでこの期に及んで「どうしましょう?」から発信するのだかよくわからない。
誰が最初の「人柱」になるんだ。
「今の人」正確には「スマホを所持し始めた人」の物の捉え方って「スマホがない時代の人」と比べて全然違う。
アナログ世代のいう「知ってて当然な知識」を知らない割に「同じ話題ばかりみんなが知っている」。
こういう状況で育ったら「情報操作」で人を動かすとか、今のほうがチョロいんじゃないんだろうか。
まあ「人がどう」ではなく「自分がどうだか」なので、革命を起こす気はないがこの神経に共感する人たちもどんどん「少数派」になるわけだ。
リアルが存在する限り「実働できる奴が生き残る」は不動だと思うが、この先どうなっていくのだろう。
まさかSF映画みたいに「寝ながら指示だけ出していく」様にはなるまいな…。