今日はサイゼで次男と昼ご飯。
写真は「ラム肉」なんだけど、一枚剥がしたらまさかの「生肉」が出てきた。
焼き直してもらったけど食わなくてよかった。頑張れ厨房…。
この間、母が久しぶりに電話をかけてきたかと思ったら、留守電に
「4月13〜15日頃大きな地震があるから備えなさい」
というメッセージが入っていた。
…たぶんどっかのYouTubeを見て不安になっちゃったのだろう。
「予言」とかは眉唾だとしても、実際数字的には「大地震の周期」に入っている。
キャンプにハマりだした頃から「備え」はしてきたが、一階に溜め込んでいるので「家が潰れたら」どうしようもない。
想像では「災害時は車で他県に逃げよう!」とか思っていたけど、瓦礫だってどう散るかわからないし「ノーマルタイヤで走行できるか」という現実的な問題が。
例えRV車でもガラスが飛び散っていたらアウトだよな…と思った。
でも救急車は瓦礫でも大丈夫らしい。
ただ、多くはベースがハイエースなので走行スペックには不安が残る。
地味に気付いたが、ヴェルファイアベースの救急車はハイオクだよな…。
そう言えば「クラウンベース」のパトカーにも「…おやおやおや…??」と思った記憶が…その高級シート…「必要」なんだろうか…。話が飛んだが。
「パンクしないタイヤ」を使用した二輪自転車もあるが、これだとマウンテンバイクレースみたいに、「乗り手」にも左右されるのでは。
誰が二輪車で被災地を走行できるんだろうか。
パンク云々より、単純に「二輪じゃ危ない」と思う。
災害が起こったあとの、順番で言えば「まず生き残る」が大前提。
ということは一番大切なのは「日頃からの意識」なのだろう。
こうしたらこうなる。を想定しておけばある程度動きやすい。
このあとの順位で「水」が上位に入りがちだが、実際二番目に必要なのは「靴」じゃないだろうか…。
自宅にいた場合はほぼ「素足」で過ごす。
そのため災害時用に「スニーカーやスリッパ」を用意していた。
でも、飛散した窓ガラスや食器が散乱したとすると、スニーカーごときじゃ貫通しそうで「一歩も動けない」。
例え家では「飛散防止」で防げても、「外には一歩もでられない」と思う。
なんだかそう思ったので早々にホームセンターへ行き「鉄板の入った安全靴」を家族分購入して寝室に準備した。
…寝ている時に来るのかは知らんけど。
自分も災害に備えようと思うと、まず「食品」から購入していた。
でも、実際飲まず食わずでも5日は持つ。
水があれば20日は生きられる。チョコがあればもっと長生きできる。
そう考えると、最優先は「食料ではない」。
それよりも三番目は「暖」だと私は思う。
暖かくすることができれば、動けなくてもとりあえず数日はその場で生きられる。
寒かった場合、季節によっては一晩でも危ない。
そして四番目に「水」な気がするのだ。
ここから備えは「あればあるほど良い」と思う。
復旧の段階に入り、ようやく仕分けや避難のための「リアカー的なもの」が入り用になり、ある程度道路が整ってからの災害用自転車。
完全にガラス片が取り除かれてからの「自家用車」だと感じた。
ここまで数週間から数ヶ月はかかるんじゃないだろうか。
つまりは結局最初はアナログで「手動」でできるものしか使えないと思う。
日本での災害の場合、救助が来る「3日間」を自力で過ごせるものを備えよう。
というが、ファスティング経験者から言うと正直3日間なら飲まず食わずでも寝て待てる。
でも実際の災害時、3日間でどうにかなるか?というと「なってない」と思う。
メディアが食いつくほどの倒壊と、優先順位で1位に匹敵するほどの大惨事じゃないと人は来ない。あとは「運」。
ほとんどの人が「自分で考えて」行動していたのだろう。
そうすると「生き残るまでの行動」と「生き残ったあとの行動」や「どう復旧していくか」もしくは「全部捨てるか」など想定できる問題を、ある程度精査していったほうが「備え」として有効なのかも知れない。
過去の災害で学ぶものは、「人が怖い」である。
頭の中では「無事に生き残って…車とかテントである程度の備蓄と過ごして…たまに配給と情報収集で避難所へ出向いて…片付けを進める」とか考えるが、これは「邪魔者もいないクリーンな世界」での想定だ。
実際、「誤報を流すバカ、不安を煽るバカ、物色し始めるバカ、性的に動物に戻るバカ」これらが見境なく発生する中でのサバイバルだ。
普段冷静な方達もパニック状態で心もみんな疲弊しているだろう。
自分だってどうだかわからない。「助け合い」をしないほうが良い場合だってある。
結局「起こってみないとわからない」。
そう考えるとなんで「地震が起きることをわかっているのに、被災想定区域に住んでいるのだ?」という疑問がずっと拭えない。「死に待ち」ですか。と。
日本に住んでいる以上、地震から逃れることは難しいが「家も少なくて倒壊を避ければどうにかなる」ような平地はたくさんある。
関東近郊なんか、倒壊しなくても「人が多すぎて自分に集中できなそう」な予感。
「パニック」って連鎖する。
だからといって人里離れて暮らすことはないが、ある程度の蓄えがあれば人は少ないに越したことはないのかも知れない。
災害時に恐ろしいのは「人間」でもあることをちゃんと「想定内」としたい。
…というわけで「ゾンビ」を見よう。
意外とパニック映画から窮地での「人の行動」を読み取ることはできる。
…人がゴミのようだ…が連発で、どこに感情移入しても傷つくので「無」で見てほしい。別に面白くはない。
こちらはSF映画なので「生存競争」というより「極論」で、人間を学ぶというか、「政府や富豪はやりかねん」という「行動重視」で見るといい。
たぶんあの場に自分がいると想定して見るなら、「如何にして楽に逝けるか」しか学ぶものはない。あと咄嗟の「判断力」は試される。
昔「週5」くらいで映画を流していた時代。
月曜ロードショー、(火サス)、水曜ロードショー、木曜洋画劇場、金曜ロードショー(水曜からの移行)ゴールデン洋画劇場、日曜洋画劇場。
と、毎日洋画番組があって毎回見ていた。
こんなに沢山放映枠があるというのに「同じ映画」が結構流れた。
そのなかでも「タワーリング・インフェルノ」「ポセイドン」は印象に強く、子どもながら「こうやって判断し続けないと生きられない」と学んだ。
そして数見るうちに俳優を見て「こいつ死ぬ、こいつ残る」がわかるようになってしまい、「どうせ主人公と有名人は生き残る」という先入観で見始めたのも覚えている…。
こういう「パニック映画」って第三者目線で見られる。
そろそろ冗談抜きに「心構え」をするか「引っ越すか」決めたほうが良いのかも知れない。