休みの日に久々に家族全員で出かけてきた。
長男18歳。同行だけでも奇跡なお年頃。
その日の夕食、普通のラーメン屋にあった「二郎系」ラーメン。
私は普段ラーメンを食べないので、テンション上がって2匹との撮影会。
二郎系は旦那が食べたのだけど帰り道に吐きそうになってしまい、車は危険と判断して一人徒歩&電車で帰るというハプニング。(自己判断)
彼には毎回ブレずにドン引きさせられる。
…なんで何十年生きても自分の容量を把握できないんだ。
さて、私の運動歴。
過去、13歳のときにソフトボール部に1年間入っていた。
インハイレベルのチームで、友達の巻き込まれ事故で入部してしまった私は「運動経験ゼロ」のまま1年間頑張りすぎて、スポーツ推薦陣を超えてしまいファーストでレギュラーになった。
…そして総スカンくらい、生成されていないメンタルが潰れ、泣きながら辞めた。
あれから30年以上…何もしてこなかった私が奇跡的に3ヶ月間も運動を続けている。
辞め癖は今は穏やかで、まだもう少し行けそうな気もしてきた。
ただ、初心者の時は考えもしなかった悩みが出てきた。
「いちいち下手がわかる症候群」だ。
初めてのことを始めたばかりの時、「あ、できた」の連続だった。
自分がサンドバックを叩くなんて想像もしていなかったので、「いい音」がしただけで嬉しかった。
薄暗い中のフィットネスで自分に集中できたし、「他人と比べない分」自由だった。
でも、しばらくすると「できなかったことが一通りできる」様になる。
よし、もっとフォームを整えよう。音楽に合わせよう。
何かしら目標を持って進むようになる。
ここからしばらくは「自分がOKサインを出す」までの葛藤。
…が、OKが出ん。
完全に潜った。目標を見失っている。
原因はASDの「0:100思考」にあった。
「白黒思考」と似ているが、要は「できるかできないか」しか選択肢がない状態だ。
ちなみに私が思う「できない=初心者」で「できた=インストラクター」である。
私は今、この中間地点で届きもしない目標に手を伸ばし続けている。
次元が違う。なりたいものも違う。なぜそこを「基準」としてしまう。
今これに陥っていて、インストラクターからのお褒めの言葉も疑ってしまい「どうせ続けてほしいからそう言うんだ…私は頭数。」と、卑屈になり「なんで私はいつもできないんだろう…」と、完全に闇に堕っこちていた。
先日グループレッスンのときに、
「みなさんがとてもいい顔でここを出ていくのが、僕はとっても嬉しかったです」と、リップサービスしたインストラクターと帰りがバッティングした。
この言葉を聞いた後に彼は「最近どうですか」と私に言った。
地雷発動。
「やるたびにできない自分に気づいて、毎回落ち込んでいます。」
…両者ぐぅの音も出ない時間が過ぎた。
ガチで本音でストレートな気持ちなのだが、なんかいちばん大事な場面で「言ってはいけない言葉を吐いた」気がする。彼の「モチベーション」も下げただろう。
お家に帰るまでの時間、また反省会。何度涙がこぼれそうになったことか。
さっきの話と真逆な自分を「情けない」とまで思った。
今まで大抵のことはこんな理由で辞めていた。
こういうところがクソ真面目と言うか、融通が効かないと言うか、完璧主義な割に心が弱い私の悪いところだ。
旦那にも「やったことないことをやってるんだから、小さい目標を持って、コツコツ上がるもんだよ」と言われ、「お前のラーメンもな」がよぎった。
それはそれとして、そうだよな…と、自分の変わらない根底にイライラした。
ひとつできれば一歩進んでいる。
満足にできなくても「やった」なら絶対後退していない。
フォームを失敗しても、使った分筋力は上がっているはず。
そうやって「前進している自分」を労ってやらないと、心が疲弊してしまう。
心の中の問題だけど、意固地にならず「考え方を変える」ってとても重要だと思った。
あとはそれが「できるか、できないか」だな。
…また二択だが…。