今日は「休息デー」にしたので、朝から次男とCOCO'S。
昼前に帰って、夕飯まで動かないんだ…。
以前、山Pが「時間が開くとジムを探してしまう」という事をテレビで言っていた。
これ、過度な欲求になってしまうと「ジム中毒」という疾患になるそうで。
私も今、週3でキックボクシング、週2でホットヨガと精力的に活動している。
私の場合、「辞〜めた」の波が来る前に「とっととやっておこう」という貧乏根性なのだが、これも中毒のきっかけになってしまうのかも。と、思った。
もともと私は引っ張られやすいのを自覚している。
まず、インストラクターがいるタイプはシステムが精神的に追い詰められる。
「早めに予約しないと枠が埋まる」からだ。
なので、数週間前から予定を考え始めてしまい、そんな中で取れた予約。
キャンセルも何度も出来ないので、当日イレギュラーに疲れがたまていたとしても行ってしまう。
疲れが溜まっていると、アドレナリン噴出で「意外と出来てしまう」。
→翌日ぶっ倒れる。
しばらく休む、休んでいる内に起きる不安。
「…今までの努力が無駄になっていくんじゃないか…」
復活するやいなや無茶な運動→ぶっ倒れる(繰り返す)
…わかる気がする…こういうタイプは思い切って「講師側」につく方が健全だろう。
仕事としてコンスタンスにジムと繋がっていれば、少なくとも心は楽だ。
ジムなんか所詮「自由趣味」で、「自分がいなくても誰にも迷惑をかけない」わけだ。
なのにこの「見えない縛り」に追い詰められると、精神的に結構来る。
自分で気づけばまだ救いはあるんだろうが、「疾患」レベルに突入すればするほど気づかないと言うより「認めない」。
例えば自身が障害者であることを知らない時は、「無」だった。
障害か健常かとか考えることもなく、「日常」なので何も気づかない。
端から「変だよ」とか言われたら、即ゴング。戦闘態勢だった。
結局私は自ら「なんかおかしい」を認識したので前に勧めたが、大抵の人は「自分基準」なので「違い」自体に気づかない。
だから「病気」なんだ。
という話。
第三者に「あなたおかしいから病院行きなよ」と言われたらムカつくだけだが、自覚がなくても一度行ってみたほうがいい場合もある。
それで異常がなかったら、相手をぶん殴ればいい。
私自身が他の人を見ていて「この人…」と思ってしまう人がたまにいる。
多くは「グレー」なのだが、例えば束縛や過干渉が過ぎる人とか、「他者にとっての脅威」的な人って絶対「自分がおかしい」と認めない。
なぜなら「相手がおかしい」と思いこむ思考回路だからだ。
こういう人を身近で見つけてしまうと、心が痛くなる。
「それってさ…」と、私が提言するわけにもいかないし、パートナーも洗脳されているので悩んでいる割には前に進みたがらない。
何年経っても現状は変わらず、心だけすり減っていく。
自分が気づいて離れていかないと「どうしようもない」のをわかっていてもだ。
結局「死ぬまで面倒を見る」覚悟がなければ「距離を取る」が一番である。
前者であれば、腹をくくって一緒に前に進むように努力する。
後者なら後ろは振り返らない。
それが大事な友だちだったりすると、自分事のように心が痛い。
ちいかわのハチワレの気持ちがわかる感じ。
人の人生に片足突っ込むのもおこがましいが、「何が大切か」を念頭に置けば答えは出る。
進む勇気、切り捨てる勇気、どちらでも応援したいなと。
…最近感じた話になってしまったが。
そう考えると「一生面倒を見る」側の主人には感謝しないといけないんだろうか。
どう考えても現状「私が彼の面倒を見て、私は自分のことを自分でしている」としか思えないのだが…。
少なくともお互い病気で倒れた時、私は旦那の看病をするのに対し私が倒れても旦那は出勤する。
これ、どうにかならんのか。
お前、マジ今際の際でも看取らないと残りの人生後悔するからな…。