ASDのただの主婦

       ASD診断前から診断後も続投ブログ。ASD目線だからこんな思考だったと後からわかるの巻。

ぶつかり合い

主要キャラより「討伐対象」や「モブ」が好き。

自然界においてコミュニティー内の弱者を「排除する」傾向は普通のことだと思う。

目的が「良い遺伝子を残す事」と一貫されているからだ。

 

ただし知能を持つ我々は、今「多様性」を重視しがちな風潮にある。

「多様性」とは、「自然界における弱者」だ。

なのに「人と違う」を負の理由にする真逆な思考も存在する。

 

たぶん、私はASDで白黒思考なため「やるなら徹底的にやる、できないなら辞める」の二極でしか物事をジャッジしない。

そのため「中途半端」に目が行きがち。

 

中間層である「相手を知ろうとする、歩み寄る、改める」は、ちょっと勇気が必要だけど自分のアップデートのためにも必要なこともある。理屈はわかる。

私自身「できないこと」の一環であるため、その思考は大切にしている。

 

今日はどうでも良いコミュニティー内で、自身の障害を泣きながら説明するという屈辱を味わってきた。また「多勢に無勢」のフルボッコ

…障害者晒し者という現代で言えば異常事態。昔で言えばただの「魔女狩り」。

 

今日のきょうで怒り冷めやらずな部分もあり、とりまこういうときの自分を「率直」に記録してみる。

 

ことの発端は私に対して「対応が私にだけ冷たい。嫌ならやめればいいじゃないか。」という…被害妄想を押し付けてきたフランス人の男の歪んだ思想。

 

…私の存在がそう取られていて、嫌な思いをしているのなら「我慢の限界前に話しかけるか無視しろ」という話。

正直「お前なぞアウトオブ眼中、なんとも思っていなかった」虚無。

 

自分を棚に上げるわけではないが、そもそもASDって表情の変化も薄いため「情が薄い、冷徹」と、思われがちだ。

私も基本的に「関わりの薄い他人に興味がない」ので、受け答えも短絡的なわけだが、例えばこれが「仕事仲間」である不満ならわかるが、貴方はただの先生。私は保護者。

 

…距離を詰める意図を感じない。

なに?私と仲良くなりたかったの!?もう、意味不明。

 

他にもいるだろ。そんな保護者。あなた今日山からでてきたんですか?

なんでそんな私と「距離を詰めようとして勝手に自爆した」と問いたい。

 

人との付き合いなんて10%開示していれば御の字だと思う。

色んな人がいるんだから、「この人なんか合わないな。南無三。」でいいじゃないか。

なんで「世界中全部ト・モ・ダ・チ」じゃないと気がすまないんだお前。

イッツ・ア・スモールワールドか。

 

相手が「外国人」ということも相成り、更に意思疎通もできない。

会話が迷宮入りしそうだったので、伝家の宝刀「障がい者手帳」で黙らせた。

 

水戸黄門のようだった…。

 

障害を理解した途端の掌返し。

「でも自分は寂しかったんだ」の弁解が始まる。聴講のお時間。

 

…しらねーよ。早く終われよ、帰ってバスケのブラジル戦見るんだよ。

 

どれだけ私が周りに対してフェアに考えていたかをようやく理解し、

「私は人間関係において無理しかしていません。あなたたち(定型発達者)に合わせることで精一杯なんです。これ以上、私に何かを求めないでください。貴方の思い描く私には”死んでもなれません”(キッパリ)」

と、泣きながら訴えた。

 

もともと機能不全家族だったので、父親からのPTSDが抜けず「心から訴えようとすると泣いてしまう」奇しくも、

アラフィフのおばはん、フランス人に泣かされるの図。

PTSDは二次障害で、心の病。)

 

 

…もう、いじめないでほしい。

 

 

私に不満がある人でハデにぶつかったのは、これで3人目だけど(仕事ではない)理由が実にくだらない。

大抵が「〇〇だと思ってるでしょ!?」という言いがかりで「妄想」。

なんなら今それを言われた瞬間「思った」が。

 

今回のフランス人なんか突然「あなたは私を犬だと思っている!尊敬しろ!」と、怒鳴りつけてきた。いや情緒。

 

出会って1年、しかも子どもの先生であるが担任ではないので、2〜3ヶ月に一度すれ違う程度。挨拶しかしていない間柄でその要求は「病気は貴方です」という話。

 

確かに「外国人」なので、挨拶が激しい。

いちいちオーバーリアクションで「は~~い!エンジョーイ!?」とにじり寄ってくる。下手するとハグされる。

…これが苦手な私は罪でしょうか。日本人って苦手な人多めでは?

 

ASDです。自閉スペクトラム症なんです。「恐怖しか無い」と言ったらそのとおりです。

この人、身内が亡くなっても「笑って挨拶し返さない人は敵」という思考なんだろうか。これに合わせられるの瀬戸内寂聴さんくらいでは?

 

ある程度言葉をかわした後のすれ違いならいざ知らず、正直「彼と言葉をかわしたことも一度もない」のに、全否定。完全に被害妄想で恐ろしいだけだ。

 

私は案の定、小さい頃怒鳴り散らされた父親がフィードバックしてしまい、ドモリは出るは震えるは涙は止まらないは情緒が大変だった。子供の前で。

 

もう、ここまでいったら「傷害罪レベル」なので被害届だそうか迷う。

 

最後に彼は「障害者に一方的にキレた」という事実がのしかかり、自分の体裁が悪くなったので、平謝りした後「次の授業が…」と、去っていった。

 

お前ごときに自分の障害を語り、奇しくも弱みを握られたようで後悔。

子どもになんかされたら怖いので、「障害者手帳(紋所)」にマジ助けられたと思った。

プライドの塊なので、他の教師の手前もう関わってこないと思う。たぶん。

 

さあ、今回のことで自分が如何に「下衆だかフィードバックだ。」

そしてバスケのフランスvs日本戦、河村勇輝のファウルをタイムスリップしてもみ消しなさい。(お門違いな怒りの付随)

 

…今はエチゾラム服用で、少し落ち着いた。

 

落ち着いたので考えてみると、赤の他人がいきなりキレるのだから、きっと私も辛辣だったのかなぁ?と、振り返る。…でも話したことなくて辛辣って…。謎も渦巻く。

 

私は自分を理解しているけど、「客観的な自分」は流石に相手が伝えてくれないとわからない。

嫌な記憶だけど、何度もあったならきっと私も学ぶべきことはある。

アップデートしなくては。

 

運(相手)が悪かった…としても、そういう輩に頭取られる隙もあるのかも知れない。

小学校の頃も1人でいるだけでいじめられた。

 

…相手を思いすぎて結構下手に出ちゃうからな…堂々として良いのかなぁ。

こういうのも相手によりけりだから、きっと正解はないのかも。

 

でも、今回の出来事で言えばずいぶん自分をへりくだり、相手に合わせる努力をして握手までして和解をしようと努力した。もちろん子どものためだ。

そういう和解の方法のほうが「海外勢」にはわかりやすいのかな…と、相手の気持になって「握手」を考えた。

 

それでも彼は「でも自分は知らなかったから仕方ない…とても傷ついていた…」とかいう。

 

 

死◯。

 

 

いやいやいや…もちつけ、私。

今までの「悟り」がパーになっとる。

 

みんなもこういうもめ事って人生においてたまーにあると思うけど、どうやって乗り越えているの?泥沼化しないうちに「折れる自分」にヤキモキしない??

 

そもそも論だが、「私、障害者ですけども。」(こういう使い方はよくないが)

 

何を言いたいかと言うと、「私が定型発達者を理解しようと努力するだけではないよね?」というモヤモヤ。

「それができないから障害者」と、認定されているのに「普通」に寄せる努力が一方通行。しないと「問題児」。

「そっちが言わないから知らなかった」「仕方ない」と平気で逃げる「普通の人たち」。

 

コミュニケーションにおいて「確実にわからない」ことが私にはある。

だから障害なのだ。

 

定型発達の人が「多くを知らない」のは構わない。当たり前だ。

でも、「わからないなら聞いてほしい」答えがわかれば「落とし所」はきっとある。

こういう案件って、「障害者かどうか」は関係ないと思うからだ。

大抵「他人との意思疎通」って、徐々に理解を深めるものではないのだろうか。

 

「わからないなら”知ろうとする”」この一歩で状況はきっと変わる。

 

まあ、今回は「相手が悪かった」という話なのだが(結局そこ)色んな障害や、精神疾患を相手に晒しながら、薬まで飲んで。「ずいぶん頑張っちゃったな…」と、辟易しきり。プライドも何もねぇ。精神的にケツの毛まで抜かれた。(お里が知れる)

 

長引いたら鬱になりそう。

 

近々で久しぶりにカウンセリングへ行こうと思う。客観的な意見を聞きたい。

ちゃんと失敗を学びたい。

 

でも、あのフランス人はオリンピック見ながら酒のんで自己完結できるんだろうな…。

もしくはSNSで自己弁論書き連ねて、架空の支持者共と慰めあってるんだろう。

 

それで済みそうで羨ましい限り。まあ、これも私の妄想だけど。

私は反芻思考とカメラアイで死ぬまで忘れない。

 

…不毛だな。