ASDのただの主婦

       ASD診断前から診断後も続投ブログ。ASD目線だからこんな思考だったと後からわかるの巻。

カミングアウト2

私の「Chromebook」のゴーストタッチが例に漏れず酷い。

使いやすくて持ち運びしやすくて絶妙なのに動作がバカ。

クソッ…保証書!!(大抵捨ててる)

 

さて、6年来の知り合いと家族ぐるみでお付き合いをし始めて丸2年。

この間、自身の発達障害を「カミングアウト」してみた。

 

本当は「障害を知らないでも、これだけ続いているならもういいじゃん。」

という気持ちもあって、散々考えたけど騙し討ちみたいな感覚も嫌だった。

終わったら終わったで仕方ない。くらい腹をくくった。

 

きっかけとしては「殻を破りたい」一択なのだが、向こうからしたら「自分都合でキメラ化しやがった!」(ちいかわ)くらいの衝撃だろう。気を使うかもしれないし。

でも、本当に多方面から考えてみた。

 

例えば「どうやって”自己犠牲せず”人の気持ちを理解すれば良いんだろう?」という疑問がある。

私はASDなのでこれが「永遠の疑問」で「死活問題」である。

 

そして実際アドバイスを頂いたとしても「結局できない」壁がある。

その「壁」を「回り道」して打破したいがために、色んな「ルート」を人から聞きたいのだが、そもそもここに「問題の解決策」とかは求めていない。解決しねーから。

このニュアンスが相手に伝わりづらく、結局同じ疑問が堂々巡りになる。

コレが嫌だった。

 

こういう「お悩み事」に対して「女性特有の”同調癖”」のせいで、十中八九相手からの返答は、

「わかるー私もそうだよー」

とかなる。

いや、お前ASDじゃないやろ。という話。(本音)

本当はここで「私の場合はね…」という話であると凄く助かる。

 

しかし、前者での反応なので私の捉え方は概ね2パターン。

①「また真意を伝えそこねた…」と、あきらめて「そっかー…」でフェードアウトする。

②「そうなの!?」と、同類と勘違いして食いつき、「定型発達者目線」での意見で納得してしまうが結局できないので「繰り返す」という負のスパイラル。

 

ASD同士がお門違いな論争を繰り広げるのも嫌だし、「同調、着席。」とかもっと嫌だ。

「普通の人の考え方を聞きたい」あなた個人の「普通のものの捉え方」を。

 

…前に進みたひ…。

 

これは私の願望。

もうひとつは「相手目線」に立ってみて、知ったほうが「相手が楽かな」と思った事。

 

例えば「思ったことを声に出しがちなクセ」とか「エコラリア」など、相手が「??」と思う行動をたまにしてしまう。大抵「やらかしてから気づく」。

 

それこそ「定型発達者の皮を被っている」ときには出ないけど、親しくなるほど丸裸。

お口も緩んで「平気で他人にツッコミを入れまくる自分」が登場することもある。

 

これも自分。これも個性。

でも良いのだが、「あなたを傷つけたくて言ったわけではない」という妙なニュアンスもあり、そういう発言に限って「家に帰ってから気づく」。

「私が地雷を踏んでいました」と。→猛省。一人反省会。

 

それでもなお、お付き合いしてくれているのだから彼女なりに「しかたねぇババァだな」くらい着地しているんだろうけど、それもシャクというか。(何だよ)

とにかく「原因あって結果なんです。メンゴ。」くらい伝えたかった。

 

多分「発達障害だから仕方ないのか…」って、免罪符にはしたくないけど「なんでこんな事するの!?」と、疑問に思わないだけ相手も心がスッとするかなと。

 

例えばADHDを持つお友達が次男を四六時中ひっぱたいてきていた。

これってADHDにとっては「心をひらいている証拠」でもあるんだけど、知らないと「なんだコイツ!?」って怒りにつながってしまう。

 

でも、私は知っていたのでその子には「叩くと痛いんだよ。お友達は大切にしようか。」とか、次男にも「嫌なときは”やめて”って言えば伝わるからね。」と、対処できた。

そもそも叩かれている次男を見かけても「理由を知っている」のでストレスではなかった。叩かれていた次男も「自分なりに」かわせるようになっていった。

 

こういう感じで「理解」できれば、私の失言や行動に「意味」を感じ「相手もストレスなく」付き合えるんじゃないかな。と思ったのだ。

 

これは私の勝手な「想い(妄想)」であって、そこに相手の考えは微塵もない。

でも、「言わないと進めない」そう思ったのだ。

 

発達障害は「治らない」。

だからといって、「障害であるが故の恩恵」ばかり受けていたら関係性は変化しない。

 

私はどこぞの「障害者YouTuber」みたいに「だってしょうがないじゃん」と障害を免罪符にして、わがまま言いたい放題の人間にはなりたくない。

この人も「なるようになってしまった」のだろうから、責めるつもりはないが「YESorNO」で考えると私は「NO!」だ。ただそれだけ。

 

「両者間での歩み寄り」って、落ち着いて考えたら「障害者だけとは限らない」はず。

「障害者=弱者=私が引かないと」が、変な縛りになっているから難しいんだろう。

また、一概に私みたいな考えが「全部」ではないのも判断を迷わす。

 

結局個人の「どうしたいか」なのだろうが、私は「こうしたかった」というところが着地点なのだろう。

 

突然そんな話を切り出された友達は泣き出してしまった。

…「対等の壁」が崩れた音がしたような…

 

「大丈夫?」と声をかけたら、

「私…知らないで他の人にあなたのことを酷く言ったこともあった…うわ〜ん!」

 

てめぇか、この野郎…

 

と、思いつつも笑ってしまった。

そんなの「お互い様」だよな。

山もあれば谷もある。

 

「…生まれつきだから。突然変異じゃないから。明日もなんにも変わんないから。」

そう言って二人で泣き笑いしていた。