今日聞いたエピソードで考えさせられるものがあった。
1年生の話だ。
「A君が同じクラスの数名に長期間無視をされていて、それがストレスとなり自宅で奇行が始まった。これを問題視したA君の母親が学校に問い合わせ、A君を無視した数人が謝罪。親同士も謝罪して事は収まった。」
というエピソード。
そうかそうか…まる。である。
しかし直後「A君に頻繁に蹴られている。というBちゃんが現れた。Bちゃんのお母さんとA君のお母さんは知り合いのため、ことを荒らげて気まずくなりたくない。なのでこの事実を言うつもりはないそうだが、Bちゃんも困っている。」
というエピソード。
うんうん。あるある。
なのだが、Bちゃんの出現によりここで大きな疑問が生じる。
「A君が先か、後か。」問題である。
例えば「A君が元々アカン子で、複数人が嫌がって結託して無視をした。→腹いせにBちゃんを蹴っている。」なのか。
「A君が複数人から無視をされ、奇行が目立つ。→奇行の一環でBちゃんを蹴ってしまう。」なのか。
分からなくなってしまった。
親は見ていることと、息子から聞いたことが全てであるので「自分の子の正体」は見えていない。
しかし状況も知らずに学校に通わせている以上、一方的に親の監督責任を問うのもどうかと。
要は「学校(現場)は把握していましたか?」に尽きる。
そこからの「各ご家庭での対応」と広がるからだ。
しかし担任の先生は1人で35人の生徒を見なければならない。
しかも発達障害で多動である子がこのクラスには2人もいる。
その上この先生は学年主任。
完全にキャパオーバーしていませんか…と。
この状況で正確な事実確認をして物事を解決しよう。なんて無理難題もいいところだ。
そもそもどこ見て仕事をしていいかも私には判断しかねる。
ではどうすれば良いのだ…という論争である。
遅かれ早かれBちゃんの限界は来る。そしてBちゃんのお母さんだって限界突破するだろう。
「集団無視」という上っ面の出来事だけ解消しても、抜本的に解決しないと堂々巡りになりそうだ。
早々に「A君の正体」を暴かなければならない。
ただこの「奇行」が曲者で、何をもってして「奇行」と定義したかによって、このA君の母親までちょっとアレなのかなと思われかねないのだ。
これは毒だ…。
最初はシンプルなあるあるお悩み相談室が、ちょっとしたことで大混乱である。
未だに現在進行系の事柄であるため、どう転がるか自然消滅するかはわからないけど、多方面で人が絡み合うと「把握している、していない」だけでも相当もめる。
私はどうも自分の世界に生きがちなため、「自分が損して周りはうまくやっている。」と、卑屈になりがちだった。
しかし外部からこういうエピソードを聞くと即座に問題点を指摘できるし、大体の解決策は頭の中で成り立つ。「他人事」であるからだ。
この分析力を自身に使えたらもっと何か抑止できるんじゃないかなぁ…とも思うのだけど、まあ理想は理想でしか無い。
旦那とも話していたのだが、「100%より良い環境」なんか無理なんだから、そうやって他人とコミュニケーションを取る中での負の情報で、自分の負の情報を打ち消してはどうだろう。
という、実に後ろ向きな作戦を考案。
要は「他人の不幸話と比べて、自身の不幸話のほうがまだマシ。」みたいな考え方だ。
「負で負を消す。」
この思考を駆使すれば、どんな理不尽さも乗り越えられるのでは。
とか言うのだが、その「他人の不幸」レベルがある時、
「ブラックホールに飲み込まれると物体が伸びるんだよ?その苦痛に比べれば…」
みたいにぶっ飛んだことがあった。
もう…どうにもならんのか。