ASDのただの主婦

       ASD診断前から診断後も続投ブログ。ASD目線だからこんな思考だったと後からわかるの巻。

あなたの心に太陽を(韓国)

Netflixで見ているこの韓国ドラマ。

私がなぜ不快に思うか、見続けていてようやく結論が出た。

 

私にとって、「ウ・ヨンウ〜」は、理想であって陽。

「あなたの心に〜」は、現実であって陰。簡単に言うとコレだ。

 

以前も書いたが、私にはどうも「精神疾患の方に引っ張られやすい」という症状がある。

例を挙げると、吃音などの障害がある方の前だと私もどもる。

ネガティブ思考の疾患の方といると、私もネガティブになる。

簡単に言うとこんな感じ。

これが「障害者物のドラマ」でも「リアルな浮き沈み」として若干影響している気がするのだ。

 

まず「ウ・ヨンウ〜」だが、こちらのドラマは基本がリーガルドラマで、舞台は「大手法律事務所」だ。

障害者であるのは主人公のみの場合が多い。(障害者の案件もいくつかあるが)

そして、基本的にこの主人公「学生時代のいじめ」や「理不尽な扱い」はあれど、「比較的幸せ」な部類のASDである。

 

これに対し「あなたの〜」は、舞台自体が「精神科」で、ここで働く新米看護師の日常が主な話となる。

精神科なので、ドクターと看護師以外は「患者」である。

「様々な精神疾患」を患った患者さんとの対話や、関係の築き方、そして「その患者さんがいかにしてぶっ壊れたか」に焦点が当てられる。

カサンドラ症候群のような親族、果に救えない患者さんまで出現してしまう。

 

これが「韓国俳優独特の演技の巧さ」も相成って、自分は精神科の入院施設へは行ったこともないのに、自分の心もメタバースの世界にフュージョンしてしまう。

 

つまり、「ウ・ヨンウ〜」では「観客」として視聴できるのに対し、「あなたの〜」では「自分事」として体感してしまうような錯覚に陥ってしまう。

だから違和感を感じてしまい、不快だったのだとようやくわかった。

 

普通、ドラマを見る際は主人公や配役に共感して「非日常」として楽しんだりすると思う。

しかし「あなたの〜」で、私が共感し、共通の目線で入り込んでいる人物は「入院患者(その他大勢)」であった。

主なる役者さんでもなんでも無い。

周りにいる「ただの患者」に共感していた。

 

その「患者」目線で各回のエピソードを疑似体験していると、リアルで「明日は我が身」みたいな危機感を感じてしまうのだ。

 

…そう思わせる様な韓国ドラマ…侮るなかれだ…。