昨日午後から今日の早朝にかけて、外部注文のお弁当などの準備でワチャワチャしていた。
今日の午前中になり、ようやく自分の役割を終えたので昼間っから「カフェでお茶をしながらブログを書く」という贅沢中。
これが私の「贅沢」であるのだから、何かショボい人生なのかなーと、また考えている。
お茶をする時は決まってカフェオレだけなのに、今日はイキって「BLTサンドとホットコーヒー」のモーニングセットにしてしまった。
卓上がひとりお誕生日のようだ…。
私は手荒れでボロボロの手と、寝不足ですっぴん。(眉毛だけは書いた)
さっきまで仕事をしていたので動きやすい服を着て、髪もひっつめ。
周りのお客さんは小綺麗でネイルもしていて、素敵な大人の女性で…羨ましい…。
小さな頃の自分から見て、「なりたかった大人」になれているのかな。
こういうときにインナーチャイルドにでも出てきてもらって、ジャッジしてほしい。
「大丈夫だよー」と。
小さな幸せを感じるたびに、「これで良いのだろうか」と考えてしまう。
これも何かの症状にあった。
「幸せ恐怖症」みたいな、私の場合アダルトチルドレンの一貫だったかな。
確かに「育児も自己犠牲」であった部分も否めないので、ASDというよりはこっちなのだろう。
結果オーライであるのなら、何でも病名つけるな。と思うが、「自分」に焦点を当てるとそうなんだから悲しくなる。
要は「過剰な優しさ」なんだから、逆に自己肯定してもいいことだとも思う…。
心が締め付けられそうに痛いくせに、何もしない。
何もしないくせに、「みんなが大変なときにBLT食べてる自分…」と、自己嫌悪に陥る。
世界中で言えば、とっても大変な状況下にある人は「ほとんど全員」だ。
「世界がもし100人の村だったら」を何度も読んだが、「屋根のついた家と暖かいベッド、3食の食事と学べる環境」これらが揃うこと自体が「一握り」の奇跡である。
これが「当たり前」と宣う環境下に生まれたことに、本当は感謝しないといけない。
そこまで遡って、勝手に落ち込む。「幸せの無駄遣い」無力だと思う。
こういう考え方は鬱の人や、何らかの精神疾患を抱える人によくある。
自分もそうだけど、頭の中くらいきっと「図々しくて良い」のかもしれない。
例えば「そう考えてしまう自分」を否定してはいけないと思う。
捉え方はそれぞれだけど、「他人を思いやる」事自体は優しさであり、それで自責の念に苛まれてしまったとしても「多角的に自身を捉えられている」という事は、事実「できている」と認めて良いことだ。
これを他人に押し付けたら問題だけど。
そのうえで、「そんなに抱えなくてもいいんだよ」という逃げ道を心に作ってあげたい。
この「逃げ道」に対して、ズルいとか思わなくて大丈夫。
「心の中」のことはきっと自由だ。「さとり」でない限り、誰にも見透かされない。
黙って静かに、今の幸せに感謝をして楽しめば良いんだろう。
そう思いつつも、「知る」事の苦しさに翻弄されてしまう。
…あっちもこっちも、よくスマホばかり見られるなぁ…と、不思議。
「色々知ったうえで」カフェでお茶をしているわけだ。
全員後ろめたい気持ちを抱えているわけではない。
わかってはいる、「日常がただ続いているだけ」の話である。
ただ、私がわからないのはその負の情報はどこに消えてしまうんだろう?
どうして平静でいられるのだろう?
どうやったら私も皆みたいになれるんだろう?という疑問。
人格は乖離できているのに、ぐるぐる思考で乖離しない。
私は震災での「人的被害」の部分は「都市伝説」ではないか。
くらい信用してなかった。それくらいピュアというか目に見える情報を信じるから、単純にそれ以外に目が行っていなかった。(これはASD)
「まさかこの日本で」という平和ボケがどこかにあって、SNSが普及するまで「辛いときに人を騙す人が存在する」という発想すらなかった。
追い打ちや嫌がらせは=嫌いな人にすることだからだ。
でも、実際そういう被害が多発している。SNSでのデマだってそうだ。
不特定多数を無差別に翻弄させる、簡易的で悪質な行為である。
こういうところを知るとこちらサイドから見て「定型発達者は嘘つきだ」と思ってしまう。
そうでなければやる意図がわからない。
本心でアクセスアップだけを狙っているのか??その代償の方がデカくないか??
障害者がわかって、何で「普通の人」がわからないんだ??
不思議で仕方がない。
私は「正常の脳ではない」と明確に診断されている。
「正常の脳」を持ってしても抑止が効かないのであれば、実害あるこういう輩の方が「障害者」ではないのか??
「害=障害」でないのなら、なんでそんな漢字を当てはめたんだろう?
「事実」を知ることが私にも大切だが、被害の詳細や絶望に落とされた方の記事などをスマホやSNSでの簡易ツールでヒョイヒョイ閲覧できる状況にも疑問がある。
「知らなくて良いこと」って世の中にはあると思う。
あまりにも興味本意や好奇心が簡単に解消されると「オオカミ少年」のように麻痺してしまわないか?
私はそういう記事を見かけるたびに心が痛くなる。
それが辛くてずっとガラケーでいる。
今のスマホユーザーは、どういう気持で終わりのない情報を取り入れ続けているのだろう。
惨事を好奇心で受け止めてはいけない。
そういうストッパーは皆の心に備わっているのだろうか。
「自分以外」がよくわからないので、せっかくの「贅沢中」なのに色々考えてしまう。
今ここでくつろいでいる人たちも私以上に「知って」いるはずだ。
一体どんな気分なんだろう…。自分の考えが変なのかな…とか。
…本でも読むか。