ASDには「議論好き」な特性がある。
「あいまい」が嫌いなので、物事を突き詰めて「白か!黒か!」と決着をつけないと気がすまない。
私も喧嘩になるとその特性が顕著に出るので、まぁスキャットマン・ジョンのように息継ぎもなく相手を突き詰めてしまう。
今まで旦那(×2)と両親以外でこれをぶっ込んだ相手はいないが、タガが外れると私はかなり面倒くさい。
両親との話し合いはもはやパラレルワールドなので、終わりがない。
問題は旦那だ。
私の話し方には「縦の主軸」がキッカリとある。
この主軸にあるテーマに沿って「縦軸で」繰り広げるに対し、旦那の話し方は「横の主軸」に沿った話し方なのだ。
つまり「問題点」の「過去未来」から現在を分析するのが私で、旦那はその縦軸から話を横に二転三転して広げて「過程や別件」をガンガンぶっ込んでくる。
話題が樹木のように枝分かれしていき、やりっぱなしで終わるのが旦那の話し方だ。
旦那は「口では勝てない」とわかっているので、横軸に広げた際に「私の弱点」を盛り込んで揺さぶりをかけてくる。
「自分だってこうなのに…」みたいな物言いをしやがるので、私は問答無用でその枝分かれした話題を一本一本伐採していく。
凸凹脳の私は特に「分析力」のIQが秀でているので、コミュニケーションが苦手な割にやる気スイッチが入ると「ディベート力」半端ねぇ。
頭の処理能力に物理的に口がついて行けなくなることもよくある。
最長夜明けまで喋り倒したときは喉が枯れて声も出づらいのに、なおも喋っていた。
私の分析スピードと比べると旦那の場面展開なんか「牛歩」だ。
いくらぶっ込まれようがシラミ潰しにできる。
突っかかるだけ1000倍返しで戻されるのに、なんで引かないのか理解できない。
この時の頭の中は例えるなら「無」冴え渡る。
反芻思考の時は頭の中が「疑問符だらけ」になるのに対して、「早口」が始まると「次に口にする文言」すら実は何も考えていない。
確固たる指標が存在するので、それに沿って止め処なく言葉が出てくる。
それを「客観視しツッコミを入れる自分」も脳内に出現。意識が完全に二分される。
更に私の話し方は「過去、現在、未来」と言った通り、物事に対する「類似した案件→過去の案件の解消法→現案件→現案件と過去の解消した案件との類似点→それに基づいた現案件の解消法の提案→今後の対策…」と、いちいち「完全に解決していく癖」がある。
それに横槍入れられても「縦軸」は揺るがないので、軌道修正しながら対処する。
これを間髪入れずに捌いていくので、変な話題をぶち込んだ側の旦那は「撒いた種だけ自分で刈り取らないといけない」状況に陥り、勝手に迷宮に迷い込む。
大抵、私からの質問は「YES or NO」に対して、旦那は「理由」から話す。
私は理由とか経緯とかどうでもいい、結果が全てだ。
「端的に話せ」と言っているのに、無駄な話が長いので潰すのにも時間がかかる。
その上「主語がねぇ」わ「一人称も二人称も”自分”」だわ、話し方もトリッキー。
過ぎたことは戻せないのだから、「フィードバックするなら一人でやれや」と、効率重視したいのに個人的な言い訳をされると無駄でしかない。
私は「私情に意味がない」と思っているからだ。
「話し合い=解決」しか望んでいないので、「答え」が出ればいいだけの話なのだが、どうも噛み合わない。
これは旦那の場合なので「忖度なし」であり、知り合いなどでもめたとしても地は出さない。
それどころかコミュニケーションが苦手だし、「失言多め」なのを自覚しているので「意識をして話そう」としている。
なので「言葉少なくおっとりとしている人」と勘違いされる場合が多い。
手数を意図的に減らしているだけで、本来ならば「一言われたら千で返せる」だけの文言が脳内でグルグル回っている。
相手がうっかり口を滑らせた途端、脳内では罵詈雑言が飛び交っているわけだが、表面上「にっこり」終わらせる。
これは「野生の発達障害」であったときに身に着けた処世術だ。
たまにこの「千の圧」を直感で感じ取る人もいて、こういう「勘のいい人」は逆に私はすごく苦手だ。
すべてを見透かされているというか。
個人的な勘だが「キチンと仕事をしていて、成熟した大人」にそういう人が多い。
逆上して丸裸になる旦那のほうが「人としてわかりやすい」ので対処できるが、「社交辞令」みたいな「本音と建前」を使い分ける大人は「真意」がわからない。
簡単に言うと「猿はさばけるが、営業マンはさばけない」という感じ。
私は「見たもの全て」なので、真意がわからない人のほうが疑ってしまうので取っ付きにくい。
単純明快である旦那に進化はあるのだろうか…。