昨日、待ち時間に車でテレビを見ていた。
芸人のやす子さんがスマホを109時間取り上げられるという企画。
これが「企画」になることすら、私には「???」意味不明だったけど、「スマホ依存症」と知って「大変なんだなぁ…」と思ってみていた。
私も「無いと手が震える」とか「禁断症状」が出るほど何かに依存をしたことはないが、前回の「単調なゲーム」みたいに多少なりとも「何か」に寄っかかって生活している。
ただ、彼女の場合「頼りすぎてアホになってる」感じを受けて、これは怖いな。と、思った。
「便利」には「試行錯誤を怠っている」という裏がある。
問題から答えまで、大抵は「経緯」があるはずなのだが、「検索」という手段はその「経緯」を潰してしまう。
それを言ったら「辞書」だって同じことだが、スマホと決定的に違うところは「即解決」というところだろうか。
疑問に思ったことに対して「考える隙を与えない」ところが「アホへの一歩」ではないかと感じる。
例えば「認知症」など老化で衰えていく機能について、進行を緩やかにするために行う行為はとにかく「自立」させることからだ。
一昔前なら「できなくなったら手助けしてあげなくちゃ」という思考だったのだが、今は「脳が衰えているから使わなきゃ」に移行している。
子育てだってそうだ。
昨日書いたが「手塩にかける=完璧な子」ではない。
親が子供の自主性を妨げるほど「正解」ばかり突きつけたら、その子は結局アホになる。
「自身で考える」って、不正解もあるし答えがない場合もある。
今の人達を見ていると「失敗を恐れる」人が多すぎる気がする。
わかりやすい例えが「外食」である。
みんな「初めての地で食べるもの」に対してものすごく警戒している。
「あなた達最後の晩餐ですか。」と、思うほど検索し比較検討。
更にそのお店で「外せないメニュー」もしっかり下調べして入店してくる。
…食べログで学んでいないのか、それは「客観的感想と多勢に無勢でくだされた評価である」ことに。
結局「食」って嗜好品なわけで、好みは人それぞれであり「正解は自分の中にある」はずだ。
つまり「食べたいと思ったものがうまい。」これ一択。
他人の意見に左右されて、失敗を恐れていたらそれこそ失敗だらけなのでは。と、思う。
「自身の食べログ」を構築していき、初めて「うまい!」と、満足できる。
こういう理屈は何にでも投影できるはずだ。
私で言うと「ロマンの森共和国」が大好きだ。
従業員は軒並み親切で、とても暖かいレジャー施設。
様々な体験が安価でできて、とっても空いている。
難を言えばローカルとか古いとか色々あるが、私は大好きで何回も行っている。
でも、たぶんインターネットを見て「ここ絶対行きたい!」とはお世辞にもならない施設。人に勧めたところで、私と同じ満足感を得るかも不明。
更に言うと、去年ボヤ騒ぎもあってホテルも老朽化で無くなった。
候補から外されるネタまで満載だ。
行ってみないとわからないだろうし、そもそも「私が求めるもの」にマッチングしているので好きだということも否めない。あくまでも「個人の感想」だからだ。
なので、私以外の方が全て「すばらしい!」とはならない。
でも、そういう場所や店を「自ら試して見つける」という「経緯」も込みで楽しめば、きっと結果重視にはならない。
たとえ「残念なところ」であっても、楽しみを見つける努力をしたり「ここより面白いところを探そう!」と、何かしら試行錯誤することで「自分なりの捉え方」が学べるはずだ。
何でもかんでも「検索、情報」に縛られると、「自分本体がどこにあるか」も不明だ。
脳みそはリアルに存在しているのに、指示がスマホから出ている。
スマホには「使用時間」が表示されるみたいだけど、「平均4〜5時間」とされていてびっくりした。
クリームシチューの有田さんは9時間だった。彼だけ「1日48時間」なわけない。
1日24時間中、睡眠を8時間とすると「7時間」しか現実を生きていないわけだ。
こういう人ってレアではない気がする。
誕生してから「死」に向う人生。
脳が快楽ばかり求めて、抑制もかけられない世の中になって「自己完結」が蔓延して。
スティーブン・ホーキング氏が唱えた予言はその通りになるんだろうな…ってガラケーの私は思った。