今日は実家ついでに都内後楽園へ。
後楽園にあるドン・キホーテ内のサイゼで「モーニングビュッフェ」をやっていると知ったので、行こう!と思ったんだけど、ビュッフェは終了していた。残念。
しかしながらモーニングは健在で、お台場のサイゼでなかったメニューを頼んだ。
でも、これで1000円…。
お台場のモーニングは400円だったのに…。
一般的には普通だけどミラノ風ドリアが300円なので、かなりコスパが悪い印象。
ちょっと残念だった。
このドンキ、地下駐車場があったので都内では珍しいなと思った。
店内では「ちいかわ」グッズが豊富に売れ残って割引されていた。
…都内では露骨に人気ないのかな…。
さてさて、大谷翔平さんが入籍した話題で持ちきりのテレビジョン。
各チャンネルで同じ話題とコメンテーターに寄る勝手な考察が繰り広げられていて、正直どうでもいい。
大谷選手の「見える部分」が「模範」であるのには賛同するが、彼はサイボーグでもなんでも無い「人間」だ。
我々には見えない私生活、やっべーかもしれない。
周りが勝手に神のように崇め奉っているように見えて、天邪鬼の私からすると違和感しか無い。
例えば大谷選手がこっそり破産していたとして、「ちょっとお金貸してくれない?」と言われたらもれなく全員金を貸すだろう。
公にされている部分で信頼を得ているだけで、個人的に何の関わりもなくてもだ。
そんな「確約もない信頼」がある彼は凄いが、周りもちょっとアレじゃないか…?
私個人的に大谷翔平さんには一編たりとも興味がない。
一般的にみんな「私のことは一編たりとも興味がない」という理屈と同じだ。無だ。
メディアは彼を聖人のように取り上げて社会を洗脳、なんだか彼に関して「NO」と言うと「非国民」扱いされそう。
だからみんな適当に表面上「…好きです〜」と、合わせてるだけなんだろうか。
「隣組」が今もご健在であるということでよろしいですか?と確かめたい。
私は「NO!」だ。彼も私はNO!だろうが。
本気で好きなら、あれだけ野球で成果を上げているのだから、外野は彼が集中できるように「放っておく」のが優しさなんじゃないだろうか。
私生活や人格をさらされ、追われて、メンタル潰してしまったら元も子もない。
だから「みんな本当に大谷翔平さんを応援しているの??」と、不思議でならない。
彼自身、結婚後のインタビューでも「みんながうるさいから」とはっきり言っていた。
みんな彼の人生の邪魔ばかりしているし、本人も露骨に嫌がっている。
芸能人の中には「私生活を切り売り」する人もいるから、追われても仕方ないのかもしれないけどアスリートなんか放っておいたほうが集中できるし、伸びるんじゃないだろうか。
日本人の悪いところは、オリンピックでも「結果重視」であり、世間も「メダルメダル」ばかり言うから当の本人を潰してしまうところだ。
…結果はあとから付いてくる…では満足できないのか???
みんな「好きだ」といいつつ嫌がらせしかして無いので、私はみんなの「本心」がよくわからない。
彼が生きがいで死ぬほど好きならいざしらず、大半は「なんか凄そうだから」「みんなが好きだから」みたいなどうでもいい理由で「すきすき」言ってる気がする。
結婚のインタビューで驚いていた何人が大谷選手の待受で、グッズ付けて、応援のため渡米したんだろうか。
そんな人、一人もいないんじゃないだろうか。
街角インタビューなどでミーハーみたいに反応するからメディアで取り上げられるが、私は彼を本当に応援したいな。と、思ったら、家でテレビを見たりグッズ買ったり、チケット頑張って球場で応援したり。
「ちい活」みたいに一人で(同士と)こっそり楽しむけどな…。
それでいいと思うけど違うんかな。有名になったら全部出さなきゃいかんのか?
本人追い込んでいるけど。
こういう「あなたソレ本心??」という行為が私にはわからない。
言っていることと、やっていること、違くないですか?みたいな。
例えば「小さい子」と「動物」。
これを「苦手」とか「嫌い」とか言うと「心の冷たい人」だと思われる風潮はないだろうか。だから適当に「かわい〜」とか言って好感度の維持を図る。
私は断言する。両方嫌いだ。
子育てをしていて感じたがASDは境界線が薄く、子供に対しても「これくらいできるでしょ」「まだできないの?」みたいな感覚がずっとある。
基準が「自分」なので「相手もそれ相応」と勘違いしているわけだが、ASDにこういう人はよくいる。
個人的にだが、年齢以上の結果を求めてくる感じは男性に多い。
なので簡単に言うと「子供」が理解できていない。
予測不能の未知の生物が苦手なので、「子どもも動物も苦手=嫌い」となってしまう。
でも、自分の子は大好きだ。
自分の子も「完全に理解」しているわけではないけど、他の子よりも関わっているので「予測できる範疇」であるからかもしれない。
こういう事を振り返ると、「自分の特性である」と説明がついてしまうのでちょっと悲しい。
「もしかしたら”ASD”なんて誤診かも…」とかよぎることが多いのに「確定」されたような。
…逃げられないんだなぁ…。
更に言うと「人と合わせることが苦手」なので、「本音と建前」とか疑問に思うと素直に自分に従ってしまう。
その結果、空気が読めない行動や発言につながることが多い。
先程の「大谷選手」の話を好奇心満載で振られても「奥さん誰だろ〜ね〜」くらい構ってやってもいいんだろうが、素直に「…どうでもいい」って切り捨てる。
だってどうでもいいもん。
犬猫赤ちゃん、「かわい〜」とキャイキャイする友達を、遠くから死んだ魚のような目で蔑む。
「…コイツ本気で言ってるのか、周りに善人アピールしているのか…どっちだ!」という審判中。
結果ボッチ。
…馴れ合いと言うか、長いものに巻かれると言うか…「世間に迎合できる」人ってスゲェな…って逆に思ったりもするわけだ。
別になりたくもないが…(←こういうとこな)