遅ればせながら昨日知った「5億年ボタン」。
次女が帰省をしてYouTubeの「ちいかわMAD(手描き)」を教えてもらって、みんなで見ていた。
「よっちゃん」さん
と「クマネコ」さん
の手描き動画のクオリティが神がかりすぎて、家族全員すっかり心を持っていかれた。
二次創作なのに更に「ちいかわ」が好きになった。
細かいところまで作品を読み込まないと解釈できない「関係性」まで詰め込んだ動画は原作を超えていた。愛がないと作れない。
うさぎ、格好良すぎ。でもそれな。
さて、その時に動画の流れで違う人の「ハチワレの5億年ボタン」を視聴した。
これ元ネタと概ね同じストーリーなのだろうか?
「元ネタ」がいまいち分からず、その後「考察サイト」をいくつか読んだが、私が読んだ限りではみんな私と解釈が異なっていた。
まず、5億年ボタンのルールは以下の通り。
①押した瞬間から何もない「別世界」に飛ばされる。
②いわゆる「生理現象」は全てなくなる。空腹も睡眠もない。
③その状態で5億年過ごす。
④5億年経つと、「ボタンを押した直後に戻れて、5億年過ごした記憶も消える」
⑤記憶の消去後に100万円がもらえる。
というもの。
考察サイトでは「押すか押さないか」で、答えが二分するわけだがその理由がおおまかにこれ。
【押す派】
・ボタンを押して5億年後、押す直後に戻れて記憶が消えるなら、体感としては「100万円が湧き出ているだけ」になるのではないか。
・単に時間の概念が甘い人。
・あまりにも現実と乖離した条件のため、想像できていない人。
【押さない派】
・ボタン自体に「信用性がない」。押したあと5億年飛ぶかも謎、飛んだところで戻れる確約もない。ボタン自体が信じられない。
・5億年経って戻ったとして、「記憶の消去&お支払い」がある確証もない。
・怪しいボタンだし、「5億年=100万円」が安すぎる。
などなど。
「うんうん」と思って読んでいた。
でも、「押す押さない」の論争以前に「解釈違い」があると感じた。
「ワールド」の問題。
例えば現在私達が住んでいる世界の状況であり、「非現実的なルールのボタン」が突然存在すれば「怪しいから押さない」理由が立つ。
しかし、「カイジ」や「イカゲーム」のような「現実と平行線上にあるパラレルワールド」であれば、「とりま押す」理由が立ってしまう。
なぜなら後者の解釈では「ルールは”絶対”」だからである。
そのため、「ルールの裏」をかいてクリアする場面も登場するくらいだ。
まず、この「世界線」をはっきりさせないと、上記の論争が「そもそも論」になってしまっているのがわかる。
「世界解釈」を「カイジ寄り」にしない限り論争にならない。
ではどちら側での話かな?と、推測するに、おそらく「カイジ寄り」のパラレルワールド前提でのお話だと思われる。
なぜなら「アニメ」など「ストーリー化」されているため「カイジ寄り」にしないと「話が成り立たない」からだ。
「フィクション、ノンフィクション」という話ではなく、現実世界線で「5億年ボタン」を出されても、非現実的すぎて「怪しい」で話が終わってしまう。
「ストーリー」前提で作っている以上、「パラレルワールド」での話なので、おそらく「ルール」は本物だと思われる。
この状態を把握してからの「押す、押さない」論争ではないのだろうか。
でもまあ、私個人は「カイジ寄り」であれ「現世界」であれ「押さない」結論である。
例えば5億年ボタンをキーボードなどに当てはめ、「あれが5億年ボタンだったら毎日押しまくっているのに記憶が消えていて、気づいてないじゃん」みたいな意見もあったが、ではそもそもなぜルールの中に「5億年なにもないところで過ごす時の状況」が事細かに説明されているのか。
「5億年過ごす」ことを前提としていなければ、②と③のくだりは正直いらない。
「とりま飛ぶ」これでなければ「説明の必要がない」ルールなのだ。
そうすると想像の域を超えられない「個人解釈」ではあるが、体感として「現世」と仕組みは同じなのではないか。という解釈が生まれる。
つまり今現在私達が生まれ、老いて死ぬまでの過程を「5億年」と置き換えると私達はすでに「ボタンを押している」。
物事を「外から(押す押さない)」ではなく「内側(5億年世界内)」考えてみるのだ。
この考えだと「5億年過ごす」ことが現実味を帯びるのではないだろうか。
現世の私達は大抵「必ず100年以内に死ぬ」わけだ。
その後、「生前の記憶」は物理的に無くなる。(これも答えがないが)
この理屈「5億年ボタン」と同じだと思う。
「自分」という存在を「一個体」と認識すると、その「過程」は決して消えない。
私が今現世を生きている記憶は「リアル」だし、それが「50年後に絶対消されます。」という確約もあるが、現に今を生きている。
もしここで50年後に死んだとき「ボタンを押したとされる私」が、ハッとボタンを押す直後に戻ったとしても、「今の私の記憶が消えるので知らん」。
つまり私から見るとそれは5億年過ごしていない「別の自分」ということになる。
このように「一個体」であった自分が「ボタンを押すことによって5億年世界と現世に分離する」解釈なので「押した本人の時系列」は消えず「シッカリ5億年体験する」のではないかと思う。
現世にいる「5億年の記憶が消えた自分」は、その時代の「その時」に置いていかれているだけ。
結果、パラレルワールドなら「精神の分離が発生する恐れがあるので押さない」。
今のままなら「怪しいから押さない」結局「押さない」これが私の答えである。
自分が「インナーチャイルド」や「離人感」をリアルに持つタイプなので、この理屈だと割と納得がいく。
「記憶が消える」「もとに戻る」という文言に左右されがちだが、記憶があろうとなかろうと、「時系列」で物事を解釈すると「ワープ」はできない。
例え話なので「答えがない」論争ではあるので、「自分が納得したら終わり」だが、気が向いたら考えてみるのも面白いと思う。