次男が積んだ、ちいかわチロルチョコ。
全30種類なんだけど、4箱買って27種類…あと3種類のために買うのもなー。
むちゃうマンとくりまんじゅうと草むしり検定5級が無い上に、星が「二つ星」。
…「三つ星」じゃないと意味がないのに…!!(わかる方のみ)
さて、この間ネトフリで「7月22日」を視聴した。
※ネタバレを含みます。
この犯人、素人目で見ても妄想性障害だと思われるのだが自覚がなく、認めもしないので厄介だった。
昨日見ていたバラエティー番組では「ミュンヒハウゼン症候群」と見られる母親の事件を取り上げていた。
あまりにも凄惨で(グロではないが心理的に)見ていられなくなったので席を外した。
残った旦那が最後まで見ていて、2階にわざわざ上がってくるなり「結局娘が母親を殺したって」というオチを言ってきたので、余計鬱々として寝られなかった。
…彼は春までに私をぶっ壊そうとしているんだろうか。
でも、この2つの事例を知って、自身も気をつけなければと思った。
私も「思い込みが激しい」ところが結構ある。
そもそも障害者なので脳自体が「実直」で、簡単に言うと「バカ正直」。
当事者であるときは「思い込んでる」から気づいていないため、大抵やらかしたあとに気づいて落ち込む。
私の両親は両方発達障害の疑いがある。
そんな両親に育てられた私は、「大嫌いな両親と同じ親」になっていた時期があった。
例えば両親とも「体裁第一主義」なので、「とにかく規律に厳しく」ルールから反れることを嫌った。ASD脳だ。
そして私自身も幼稚園児だった娘に対して、身だしなみや食事の食べ方、招かれた時の靴の揃え方から、挨拶、銭湯の入り方まで厳しく教えていた。
「これは親だから当たり前の躾。親の責任。」と思い込んでいたので、そもそもの「年齢を考慮」することができていなかった。
長女は地頭が良いので、大抵のことは教えればできた。
でも実年齢は幼いので、できないこともある。
ASDの特性で「年齢以上の出来を要求」してしまう特性があり、私は長女に「なんでできないの?」をかなり強調していた。
おかげでどこに出しても恥ずかしくはない子には育ったが、ある時長女がストレスで泣き出し「ママはじいちゃんそっくりで嫌だ!」と、言った。
頭をかち割られた気がした。全然気づいていなかった。
むしろ娘からは感謝されてもいいくらい頑張っていたし、成果も出ていて上手くやってると信じていたからだ。
でも私も絶対なりたくない自分の親に、無意識のうちになっていた。
これが「妄想性障害」だ。
とは思わないけど、ASDの特性も伴った「最悪な思い込み」だと思っている。
私は「親は正しい道を示すもの」という神様みたいな偶像を一生懸命演じていた。
周りからも「しっかりしていて偉いね」って褒められるし、「良いこと」だと信じて疑わなかった。
これってうっすら「ミュンヒハウゼン症候群」の毒親と同じ思考な気がする。
もちろん子供に危害を与えて、自分に称賛を向けるようなことをしているわけではないが、結果同じような流れに発展しているのだ。
でも実際は私、そんな完璧な人間じゃない。
寝っ転がって鼻だってほじる。
娘もできる子だったけど結局ASDで、きっと小さい頃の私と同じ思いを抱えて無我夢中で着いてきてくれただけだった。
ずいぶん無理をさせてしまった…と、気づいてからはとにかく「子どもの意見を聞く」ことから始めようと、意識を変えたのを覚えている。
…だからなのか…次女以下は人生舐めきっている気がしてならんのは…。
こういう「良かれと思って」の思い違いって、気をつけてはいても「良い」と思い込んでいるだけに気づきづらい。
小さい頃の長女は沢山我慢していて、凄く勇気を出してぶつかってきたんだと思う。
本当はそうなる前に自分が気づくべきだった。
そういう出来事もあり今に至るわけで、まだなにかの思い込みを誰かに強要してないかなぁ…と、たまに自分を振り返ったりする。
今のところ思い当たる節はないが、あの問題にはずっと違和感を感じている…。
…大谷さんの件、どう考えても水原さんが被ったと言われたほうが合点がいく。
…これも思い込みなんだろうか。
ワイドショーなどのコメンテイターの声が私には全く届かないのだが。