去年から始めたダイエット。
毎月−2kgと小さく痩せていき、今−10kgを超えた。
写真は私のダイエットでマストである「エステプロ・ラボ(ジンジャー)」の酵素と、チャコールクレンズ。お水に混ぜて毎日飲む。
キックボクシングを始めたので、筋肉なのか(そう思いたい)減量が停滞気味だ。
今日は3ヶ月体験のLAVAへ行く。週1しか行けないけど。
私は多動で小さい頃の習い事が10を超えている。
自分を知っているからやる気があるうちに詰め込んでみようと思う。
どうせ来月には辞めているかもしれないけど、今の自分を試してみたい。
さて、以前次男がスーパー幼児園に通っていた時。
毎年クラス替えのたびに、親からの「〇〇くん、〇〇ちゃんとは別にしてください」という要望がまかり通っていた。
多くは「子どもが嫌がる」というよりも「親が嫌」の方が目立っていた。
こんな風潮は上の子育て時にはなかったので(あってもよっぽど)「言ったもん勝ちじゃん」と、私も不服ではあった。
何も言わなかったけど。
このときは「10年経つと親の意識も変わるんだなぁ」と呆れていたが、よく考えたら「親も親」だが「園も園」である。
なぜ「私情は挟まないでください」と一括できなかったのだろう。
一昔前なら、言い出したほうが「モンペ」扱いされていさめられたのだが、このときは「嫌われていた園児の家族全部」が親からも園からも「モンペ&問題児」扱いされていた。まあ、そういう場合もあるんだろうが。
今回の場合「当の子ども達はさほど気にしていない」のだ。騒いでいるのは親だけ。
これは想像だが、SNSが普及し海の向こうの情報も軽々しく共有される時代となったが故の「親の入れ知恵」みたいなものが背景にはないだろうか。
簡単に言うと昔は「噂話」とか「口頭」で伝わっていたため、情報が「ご近所内」で終わる。
いうて「市内のあの学校はね…」くらいまでは広がるが、「あの国の学校ではね…」みたいな話にはならなかった。
それがyahooニュースとかで頻繁に「問題がありそうな事案」を面白おかしく取り上げられ、それを毎日読んでいるうちに不安を煽られ「自分ごと」だと錯覚し、ワケのわかんねぇ正論突きつけて来たとしか思えないのだ。
背後には大量の「フォロワー」(役立たず)引っ提げて。
世界がデカいんだか小せぇんだか。
そもそもだけど「負から学ぶ」って大切だ。
この、「嫌な奴」から「どう逃れるか」「どうかわしていくか」という思考は「人生の縮図」ではないだろうか。
それを早い段階で学べるのであれば、「考える脳」は育つと思うのだが。
どうしてこの「負の経験」を「排除したがる親」が多いのだろう。
逆に「迫害」という「差別」には当たらないんだろうか。
「いじめ」の情報が多すぎてビビっているんだろうか。
子どもが「良し」としていれば、それでいいと思うが。
理不尽って強弱様々なので、確かに親として「気づき」とか「見守り」は必要だけど、よっぽどではない限り「ありき」なのが人生だ。
時と場合によっては「抑止」しないと!という場面もあるんだろうが、基本「ご家庭で我が子とちゃんと関わっていれば異変に気づく」のが「親」だと思うが…これは私だけの考えなんだろうか。
今回の幼児園の件では一部のボスママが署名まで募って「嘆願書」を提出していた。
…陳情の使い方間違ってねぇか?
今時は「子どものお友達を親が選ぶ」ご家庭も多く、子ども同士が一緒に遊ぼう!となっても我が子をかばうように連れて去っていく人も見る。
それ…「お友達」じゃなくて「そんな親の様子」から、我が子は「自分の親の闇」を学んでしまったんじゃないですか?と、悲しくなる。
もっとやべぇと思ったのが
「もめた当事者が4人に対して、署名が十数名」
残りはどこから湧いた?
予想するに多くは「傍観者」がボスにビビって署名したか、又聞きで「妄想が広がっちゃった親」の戯言じゃないかと。
それを聞いちゃう「園」。もうバカ。
これが「スーパー幼児園」に子どもを通わせる親の本質か…。がっかりの一言。
多くは社会的に立場のある人間の集まりなので、「ゴネればどうにかなる」が染み付いているのだろう。
それ…飲食店でやるなよ。マジで。
でもさっきyahooニュースを見ていたら、こういう事案は今や「珍しくない」ようだ。
世も末だよな…。
ボスの実行力にも呆れるが、自身の手を汚さずに遠隔から「自分の思い通りにする輩」多し。
で、子どもはどう育つんだろうな。