最近もずっとブログを書いてはいるけど、闇が深いので「世に出しちゃいけない」と、出し渋り中。
下書きに保存され、いずれ流れて消えるだろう。
写真はCOCO'Sの朝食バイキング。
地味に生卵食べ放題が良き…。
今日は長男の学校公開日だったので行ってきた。
高3男子…。私の存在が見えないお年頃。
私は4姉妹兄弟の参観日は絶対に行く派だったので、銘々小中高は全部行っている。
大学は関西とか遠くに行ってしまったので行けなかったけど、学祭や外部展示会などが開催された時は必ず行っていた。
他のお家は年齢が上がるにつれて来なくなるので、今日も同クラスでは私ともう一人しか来ていなかった。
今日は体育祭の練習を見ていたのだけど、「ASDだなー」を実感した。
集団練習を見学している内に「離人感」が発生し、幽体離脱しているみたいに「心ここにあらず」になり胸が苦しくなった。
リレーや綱引きの練習ごときで本気を出したり、みんなで一体となって応援している姿が非効率に思えた。
「集団」に意味合いを持てない。
全体練習でダラダラ歩いたり、無駄話をしたり、並べと言われているのに座っていたり、「全体(3クラス100人ほど)が1つの塊」という捉え方になってしまうので「不協和音」を排除したい衝動にも駆られた。
これは「私が学生時代にずっと経験していた感情」だった。
今は自分を客観視できるので、「あー…抜けないんだなーこういう感覚…」と、がっかりだったが、昔は自分が「こういう物の捉え方をする脳」だと知らなかったので、始終息苦しかった。
「学校…苦しい」が抜けない。
今でも「集団」と「威圧的な人」がとんでもなく苦手だ。
両者とも「一個体のモンスター」と捉えてしまうので、向かい合うと「Fight!(カーン)」と格闘技が始まったかのように構えてしまう。
思考もろれつも回らないし、動きもぎこちなくなる。
始終相手にビビって「癇に障らないように」顔色を伺ってしまう。
「何十年経ってもできねぇなー…自分」と悲しくなる。
これはASDというかアダルトチルドレンとか、PTSDなのかな。
でも「ホーム」に戻ると頭はぐるぐる回るし、人の先手、先手で動ける。
ボクサーが一般人のパンチが止まって見える。という表現通りガンガン先回りする。
旦那相手だと機関銃のように話せる。多分息してない。
そんな自分は「できないのか、できるのか」わからなくなってたし、他から見ると「できるのにできない”フリ”をしている?」と不快に思われる事もあった。
その時「できない」のは事実。ぶってるわけではない。
なのだが、この「オンオフ」は無意識なので、私にも理解できなかった。
更にこれを他人が理解する…なんて不可能だろうから、最初からヘルプマークブラブラさせといて「できないと思ったらできるの!?」に合わせたほうが楽なのかなとかも思った。
…大分プライドを捨てるが。
とにかく、体育祭の練習を「見ているだけ」で苦しいとは…。重症。
また思考が「学生時代」にタイムスリップしちゃって、「こんなアウェイでお前(私)はよく頑張っていたよ…」と涙が出そうになった。(息子を見て!)
長男も高3…これが最後か…が、たくさんあって感慨深い。
次女は高校から、長男は中学からこの学校に通ったので8年位在籍してるのか…と考えたら、早いとこ出たくなった。
そういえば地元の小学校だって3人同じで、4人目で引っ越したから良かったけど、引っ越さなかったら長女の頃から3人波状攻撃で、12年在籍+長男卒業3年後に再び次男入学で+6年。
もう御局超えて長老だ。
子育て期間長すぎる。
「学校」って何年経っても慣れないなぁ…。
言い方悪いけど「誰が消えても変わんない普遍的なもの」があって異様。
「具体的に何が?」というと、感覚的なものなので表現も難しいんだよなー…。