自分が今、弱小ながら従業員を束ねる立場で感じることは「プレイングマネージャーは一人でいい」ということである。
プレイングマネージャーとはビジネス用語で、だいぶ掻い摘むと「管理と遂行ができる人」である。
マネジャーという職種が業務を管理し環境を整え(全体視)、プレイヤーが遂行(個人)する。
単純にこの仕組みであれば何事もうまくいく。
他に「サポーター」などの役割もあるが、ここまで来ると「スポーツ観戦」をイメージするとわかりやすいだろう。
この枠組みはビジネスではもちろん、スポーツや小さなコミュニティでの活動など、全てにおいて精通すると私は感じる。
指示役がいて、仲介役、実行役がいる。
こう書くと「嗚呼、アレもそうだな」と、連想できる。
私が今「PTA」という立場になり、過去を振り返って今を見ると、このポジション付がしっちゃかめっちゃかになるのが「PTA」なのだな。と、つくづく感じる。
ボスママだから「できる」わけじゃない。
社会的に地位があってもPTAでは通用しない。
通常パレートの法則では2:8の割合で「動と静」が現れるのに対し、PTAは「1:9」以下である。トップの負担が半端ない。
頭の主張がデカすぎて独裁国家になってしまったり、逆に頭が小さすぎて「9」の方が優秀なのに「体裁で従う」無駄遣い。
過去の経歴をさらけ出して盾とする輩と、ジワジワ出してきて水面下で束ね始める輩。
社会的経歴があっても、「子供の年齢で格が決まる」縦割り社会。
そしてそれは「女子」の世界線での「慈善事業」うまくいくわけがない。
今の実行委員会も、温度差がかなりある。
最近「夏祭りの開催」というテーマが現れたのだが、これもコロナ禍開け初回の開催。
経験者ゼロの中、「コロナ禍前の資料」を参考に事業者を叩き出している。
「半数以上閉店している事実」すでに前途多難。
これに対し、上は「どうしましょう?」と投げかける。
上が絶対言っちゃいけないヤツだ。
全体集まりはまさかのあと2回設定。
過去にはかき氷2000個売り上げるレベルのイベントの企画だ。
でも今年は近隣と開催日と内容が丸かぶり、更に5年ぶりの開催。
提携事業者が軒並みリタイア。新規なんかババ抜き状態。
もはやゼロ以下からのスタート。
「突っ込むところしか無い」
まず、「例年を枠にはめる時点で間違っている」そして「支出分野」から物事を考えるのは政治家と一緒である。
期日が迫っているなら、少数派であるトップである程度まとめて「提案→賛同方式」にしないと全体の意見はまとまらない。
そもそも露天もイベントも「外部」集めてどうにかしよう。と、しているため「収入分野」に誰も気づかない。次年度以降はどの積立で開催するんだろうか。
散財して「あとよろしく!」やらかすつもりなんだろうか。
現に煽られたプレイヤーが数人、勝手に業者と話を勧め始めてしまっているのだが、プロ相手に素人が窓口で、そもそもの目安が不透明で業者大困惑中。
「おおよその来場者数」「模擬店の数と種類(かぶりの有無)」もう少し言えば「商圏内のニーズ」「他校の近々の開催データ」「設定金額」など具体的なものが何も無いため、机上の空論すぎて夢物語。疑問がトップに殺到してしまっている。
当然だ。
客単価と営業時間からおおよその売上を見越して仕込むのに、「数字」が出ていない。
更に「分散」や「客層」だってイレギュラーじゃ想定しようがない。
女子は「焼きそばはいるよねー」「かき氷も必須」「ピザやクレープも呼んじゃおうよ!」みたいなノリで「出店料は無料!」だけ掲げて、手当たり次第のキッチンカーにお声がけしているが、「競合店」とか「仕入れにロス」とか「燃料費」とか現実わかっているんだろうか。
とどめに「〇〇年度はかき氷50円でした。」と、業者にいうバカ。
生活かかってるんですよ。プロは。
…お花畑の度が過ぎる…。
私は今年「従事者側」なので仕切るつもりもない。
なのでこれらを提言して革命を起こす気はなく「暖かく見守る」で責務を全うする。
単純にわきまえるのも「下の仕事」だと思う。
意地悪ではなく疑問はあれど、あと2ヶ月しか無いのに下剋上起こして立て直す気力も人望もないので現実的ではないだけ。
そもそも一過性で「来年以降二度とやりません!」のメンツ相手にビジネスモデル掲げてセミナーやる必要性もない。
でもその「無知であるがゆえの弊害」が、社会的に「あの学校のPTAはアレだから…」と今後一緒くたにされるだろう。
素人がやらかした代償もデカいので、次年度以降がまた混乱してしまう。
…やっぱり「トップ」って大事だな…と、感じた。
ビジネスを学んでいないとしても、牽引力と判断力、潔い決断力がないと下が迷走してしまう。
また、「下もバカじゃない」から厄介。
個々は顔も広く、スキルのあるママさんが多いからだ。
きっと何かしら「…アカン!!」が見えていて、勝手に焦って先回りしてしまっているんだろうなと感じる。
うちの店舗みたいに弱小だったり、フランチャイズであれば「店長はバカな方が良い」が成り立つ。
従業員が「自分の意志で」動いてくれるからだ。
でもこれは「既存のシステム(マニュアル)」あってのこと。
何かを企画、発案してゼロから構築していく場合、やはり「まとめ役」にカリスマ性は問われる。
私も社会や学校や色んなところで人を客観視してきたが、「大人になるほどまとまらない」これを感じる。会議中に寝るやつ然り。
PTAなんか「一時だけの寄せ集め」だから仕方ないが。
年度差はあれど、小学校や中学校の代表委員会や生徒会のしっかりしていること…。
「合唱」や「運動会」それにキチンと倣える子どもたちも素晴らしい。
だから「学校」って「良いもの」が表現できるのかな。と思う。
大人もそこを通ってきたわけだから、適材適所を見極め「引くところは引く」「出るところで出る」と、もう少し現実を見たほうが良いのかな。と、感じる。
失敗を恐れたり、完璧を求めなくていいと思う。
責任を負うのはどうせトップだ。
例年の枠にはまらず、今年は今年でできることはなんだろう?
そこに気づいてくれたらなー…と、思いつつ。
私も「巻き込まれ事故」に備えようと、警戒しながら同乗している。
…致命傷だけは避けたい…。