ASDのただの主婦

       ASD診断前から診断後も続投ブログ。ASD目線だからこんな思考だったと後からわかるの巻。

4630、例のあの人

誤送金の彼なのだが、私的に被害者だと思っている。

もちろん、メディアに流れている情報だけで感じたことだが、なんだか哀れでならない。

 

24歳のギリ若造の倫理観がズレているということはいわずもがな。

 

そもそも彼を問題視する以前に、ご送金した職員たちが顔出して市民に謝ることが筋ではないのか。

 

第一報から犯罪者のように個人特定されて行き、挙句の果てには逮捕状。

 

みんなの気持ちはわかるし、モラルとしてダメはダメ。それは前提。

 

ただ世間との考え方の温度差というか、表現が差別的になってしまうが「わからんちん」な方ってどこにでもおられる。

 

彼にとって口座に大金が入った時の感覚は、常人のソレとは全くとらえ方が違ったわけだ。

 

これを全否定し、犯罪としてこじつけ、連日連夜、何時間、何十人のコメンテーターや司会が同じ話題の堂々巡りで日銭を稼いでいたのか。もう必死だなと。

 

民報がお昼に4局も同じ話題かぶせた意味を聞きたい。

 

こんな国民あげての晒上げであるなら、江戸時代から何も進化していないんだなと日本にがっかりする。

 

隣組でもお互いを監視。

非国民とか言って晒上げ。

 

今はSNSにテレビジョン。

 

規模デカくなっとるやんけ!

 

 

正義(風)を盾にして、正論語り続けるテレビ番組制作関係者諸君は全員出家でもしたのだろうか。

 

 

だからテレビつまんねぇって言われるんだよ。

 

 

何して遊んだ?

今週のお題「何して遊んだ?」お題に沿う。

 

「ゴムシ」という遊びをご存じだろうか?

 

小学生の時にはやった遊びで、使うのは脚力のみ。

 

校庭を3分割し、2チームに分かれる。

一方は両端を往復し、一方は中央で鬼となる。

往復する途中、鬼に捕まると鬼になる。

 

したがって後半は鬼だらけの中、逃げつつ往復しなくてはならない。

往復一回で「一周」となり、その回の勝者が次の回の数周を決める。

 

そんな遊びが横行していて、休み時間となるとどの学年が校庭を占拠するかで翻弄された。

 

大体高学年が大半をせしめるわけだが。

 

この遊びが全国区なのか謎で、先ほども検索してみたが該当するものが殆どなかった。

 

唯一これ。というものがあったが、おおむね私の言っていることと変わらないので、ワンチャン同学校では。と、思った。

 

流行りといえば、ビックリマンシールやガチャガチャの剣や縦のおもちゃ、霊幻導師などあった。

 

22歳くらいの頃、亡くなってしまったT君だけはそれプラス、あぶないデカ、必殺仕事人、スケバンデカごっこがマイブーム。

 

休憩ごとに弱者を発見しては鉛筆で首元を刺すマネや、ヘアーバンドをおでこにつけてヨーヨーぶん投げてくるので困っていた。

 

霊幻導師のお札は、クラスの過半数が書けた。

 

そのうち帝都対戦で「加藤」が流行り、「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前」ができるかできないかがステータスとなった。

 

・・それなりに面倒くさい小学生時代だった。

 

私個人としては、児童館の電ノコで木材を切ったり、ビルの隙間を歩いたり、ハトを餌付けたり、ほとんど一人で遊んでいた。

 

周りの男子は、からかって怒らせた浮浪者から自転車爆走で逃げ回ったり、駄菓子屋で買った爆竹を道路に置いて爆発させて遊んでいた。

 

今だったら動画をあげられて叩かれそうな、モラルを欠いた遊び(?)ばかり。

 

実際、こち亀両さんも幼少時代の遊びはえぐい。

 

だからってひん曲がった大人にはなっていないと思うが、昔は怏々として理不尽さやモラルの欠如、大人の目が行き届かないことはあった。

 

今は全てが監視されるというか、何かあれば動画という動かぬ証拠があって。

問題視されれば、一瞬で世界中に晒上げ。

 

悪い遊びを増徴するつもりはないが、悪から学ぶなにかは無いんだろうな。と、考える。

 

しかし、人間として善悪の生き物であることには変わりなく、あの時のフラストレーションを現代人はどう消化しているか不思議でならない。

 

それこそSDGsな感じで、心もリサイクルしているのだろうか。

 

サステナブルし続けるのもしんどそうだが、このはけ口がSNSであるならそれこそ闇は深いと思うがな。

 

 

子ども時代の経験値って大切なのだと切に思う。

 

ホーム画面

今週のお題「ホーム画面」お題に沿う。

 

いまだにガラケーの私だが、今のホーム画面はカラーセラピーで啓示された「本来の自分」「過去の自分」「現在の自分」「未来の自分」・・色のカラーボトルだ。

 

そもそも占いとかセラピーとかカウンセリングとか・・セミナーとか・・。

・・言い出すとボロが出るが、あまり信じてはいない。

 

ただ「他人が言うこと」に、関心がある。

それに伴い、統計学的なエビデンスが付加していれば、自然と信ぴょう性は高くなる。

と、インプットできる。

 

人生なんか繰り返しなのだから、頭止めだ。

大体の枠組みができてしまっても別におかしくない。

 

角度を変えたり、融合したり、学べば学ぶほどどんな国のどんな生まれも性別もいくつかのパターンに当てはまってしまうのだろう。

・・って、勝手に解釈している。

 

だから、そういうことを学ぶ方たちや、自分とは違う考えの方と話すのは好きだ。

 

というわけで通りすがりに気が向いたので入ったカラーセラピー

二色のボトルを気の向くままに選んで・・というやつだ。

 

かくいう私もこだわりが強い性格なので、いかに視覚的に美しいグラデーションでインスピレーションを得たものしか選ばんぞ!!と、並んでいるときから好きな色を吟味しちゃっていた。

 

もちろんそれが「本来の自分」~を表す的な意味合いは知らない。

 

しかしだ。

順番が来て色と向かい合ったとき。自然とこれとこれと・・と、ボトルを選ぶ私がいた。

 

並べてみると汚ねぇ。

例えるなら混ぜたら茶色になる色たち。

 

えーこれで占うの嫌だーもう一回ーって思ったけど、「・・凄いですね。過去に何かありました?」と、言われて辞めた。

あるある。クソみたいな過去だったけど。

 

私は「本来の自分」で黄色と赤のグラデーションを選んだ。

そう、煉獄さんカラーだ。

 

・・申し訳ないけど好きではない色。

 

でも、そもそもの人格では、行動的で前向き。なんでも実行するパワーがある先導者タイプだったそうなのだが・・だがしかし!

 

過去で選んだボトルは上段が無色透明。

下段に全色混ざっているという、どす黒い色。

 

完全にピュアと悪魔が二分しちゃっている。

黒部分もうっすら赤いので、むしろ大嫌いな色だった。

 

で、今は無色透明と青空のようなブルー。

未来は黄色とオレンジの「黄金」といわれる色だそうだ。

 

いわずもがな・・完敗です。聞くまでもない。

 

私はこのように絵にかいたような人物なのでしょう・・。

このあとは何をいわれとも「はい・・おおむねそうです。」としか言えなかった。

 

 

ただ、黄金の未来だけが希望でこれから生きるのか。と、ちょっと失笑した。

 

 

モチベーションの違い

「~べき。」が、なかなか割り切れず、頑固な頭で成長してしまっている。

 

いろんな症状やアンガーマネジメントの考えでも、このこだわりは良しとされない。

 

要は確固たる思考で、自分を抑制し続けている結果、見えないストレスやコミュニケーションにおいて、無意識に相手を追い込みかねないからだ。…と、思う。

別に専門家じゃないから。

 

で、この間とある勉強会に参加させていただいた。

 

この勉強会の参加は任意。

特に資格もなく、主に生活圏のお勉強というか。

カウンセリングではない。セミナー寄りのガチ勉。

 

ここに参加したのは男女15名。

年齢は20代から70代と幅広く、仕事につなげる方から自分を高めたいからとか、理由は様々。

 

とくにロールプレイングやプレゼンもなく、二日間で16時間講義を聞き続けるだけという。地獄。

 

つまりただの個人のやる気次第の会なのだ。

 

私は以前起業(企業)セミナーへ行っていたときも、そのあとの起業家の勉強会も一日も休まず、講師の一字一句をもらすまい!!と、最初から最後までノートに書き続けていた。

 

そして、休み時間には殴り書き部分を訂正し、ノート後方に清書することで聞いたことは全文暗記した。

テキストなんか千切れるほど読み返し、ページごと丸暗記した。

(写真のように記憶できるが、速読は苦手)

 

・・・って人に今まで出会ったことが無い・・。

 

今回も初回午前中くらいまではみんな熱心だが、お昼ご飯食べると眠くなるのか寝始め、夕方になると飽きちゃったのかスマホでゲームしている人がいた。

 

そして最終日、一時間目から寝ていたり動画見ていたり。

 

・・かえれ。

 

何しに来たんだろう。この人たち??って怒りすら覚えた。

 

起業家の集い??では、もはや仲良しごっこ

自社をいじりディスり、底辺から近づいて相手のすべてを聞き出す会話。

 

講義より周りとつながろう!!って必死で、ドン引きしたので、握った名刺を握ったまま帰った。

向いてない。

 

 

以前子育てでも語ったけど、自分の子を卑下して話す人が嫌いだ。

例えば「うちの子こんなこともできないのに、みんなすごいわー」

 

っていうやつに限って、自分の子が一番だと思っている。

 

でも、わざと下手に出る。

そういう策士は何でも人と比べて、情報を探ってくる。

いずれ自滅して孤立するから近づかない。

 

もとい、勉強する意思があって参加しているのに、なんで全力で学ぼうとしないのだろう。

 

参加もタダじゃないし、時間だって無駄だ。

 

私は貧乏性なので、元を取ろうと必死になってしまう。

って書くと本末転倒だが、それもありきでこの学ぶチャンスを逃すまい!と躍起になる。

 

だから、周りのモチベーションの差に圧倒されてばかりだ。

バカばかりなのか、もしくはもっと崇高なのかどっちかだ。

 

大人になると、改めて誰かの話しを聞いたり、何かを掘り下げる機会が薄れる。

今なんてちょっとしたことも検索で解決するので、調べる経緯も端折りがち。

 

私は中学校の時、テレビで特集されていた「ポンペイ」が衝撃的で、図書館に一週間くらい通ってコピーしたりノートにまとめていた。

どこに提出するわけでもなくだ。

 

そういう経験って、学校の時に「やりなさい」って課題でも出されないとやらないし、すぐ解決するなら頭にも残らない。

 

私は意図してスマホを持っていないが、このツールで経緯を無視した思考の新人類が育っているのだな。と、感じた。

 

それはそれ、っていう世の中かもしれない。

世の中大多数を占めていればそれが「普通」だから。

 

ただ、アナログ世界から見上げるとなんかみんな短絡的というか、心が無いというか。

 

合理的に薄い氷の上を滑って進むような考え方なんだな・・と、意気消沈した。

 

人それぞれだから、私の考えもただの一端。

わざわざ時間とお金を割いて学びに来て、モンストやってる方に一度勇気を出して理由を聞きたい。

 

 

・・まあ、どう聞こうとしても「お前キライ」が露呈しそうだけどな。

 

 

 

 

 

連休明けはサボりたいよね

今週のお題「サボりたいこと」

お題に沿う。

 

学生時代に新宿で掃除屋をしていた。

 

新宿で世間の膿を撃ち殺していた…わけではなく、新宿のオフィスビル内の各デスクにある灰皿を回収して拭いて回るという、実に非効率的で無意味な仕事だった。

 

階数毎に様々な会社のオフィスが入っている高層ビルで、ガッチャガチャなオフィスもあれば、洗練されたオフィスもあり、展示室もあるし、重役室にも入れた。

 

そこでタバコを吸っているであろう個人のデスクをひとつひとつ探して、灰皿を見つけては吸い殻を手元のバケツへ捨てる。

 

…地味だ…実に地味だ…が、当時高校生の時給が750円くらいだったのに対して、この仕事は1200円台と飛び抜けていた。

 

この仕事、高校生の時は霞が関のビル内でやっていた。

つまり当時はどこのビルでも清掃係を繁雑に使っていたことがわかる。

 

今は喫煙者を探す。

では無く、喫煙者自体を隔離しているので灰皿も各フロアに1ヶ所あるか?ではないだろうか。

 

こんなくだらなくおいしい仕事をしていたわけだが、一人で任されるのでまあ自由にやっていた。

 

オフィスの各デスクは個性的で、自分の好きな物や家族写真が飾ってあって面白かった。

 

また、重役クラスほど机の上もキレイで、ここで座って仕事してるのか???

と、思うほどものが少ない方が多かった。

 

展示室のモデルルームには、ハイテクな浴槽などがあったので入ってみたり、ウォシュレットのボタンを押したり(デモ用の水が透明な蓋の中に出てくる)好き勝手遊んでいた。

 

…ひとりで。

 

このバイトは変わりがいないため、休むと他でガチな清掃をしてる社員さんがやらないといけなくなる。

 

そのため休むと周りの機嫌が悪くなる。

 

でも私はB型の一人っ子…ゴーイングマイウェイで飽き性なため、一定周期で行きたくない病が発動する。

 

でも社員をイライラさせると怖い。

 

当時はラインもないので、ドタキャンは電話連絡だ。

 

…全然予定もないけど行きたくない…

そうだ。生理痛のせいにしよう。

 

ない頭で理由付けをして、公衆電話からいざ連絡。

電話を取る社員が優しい人ならいいな…怖いな…怒るかな…

 

 

「…あ…あの…今日は体調が悪いので、サボります。」

 

 

しまった。本音が。

 

電話の向こうから淡白な相打ちがあり、怖くなって慌てて電話を切った。

 

 

そしてそのまま辞めた…

 

 

最悪だよ。私。

 

 

 

好きな街

今週のお題「好きな街」

お題に沿う。

 

最近温かくなってきたので、ウォーキングがてら自店のチラシをポスティングしている。

一日2時間ほどで5〜600件の戸建て中心に配る。

 

地元をくまなく歩いてみると、いつも同じ道しか歩いていないんだなとつくづく感じる。

 

我が家は遊牧民なので借家なのだが、この辺はいわゆる準高級住宅街のような場所だ。

整地してまで景観を保つほどの佇まいではないが、軒並み連なる割には一軒一軒がデカい。

 

家は無難な3LDKSだけど、周りの家はどこもその2倍はあり、芝生の広がる庭も付いていて、駐車場も広い。

 

分譲が少ないので、まあどの家も個性的。

 

なので、住宅展示場みたいで見ていて面白い。

 

印象的だったのは、外門が自動ドアの一軒家。

白壁で囲まれている庭園があったり、博物館みたいにエントランスがあり、窓も少ないお家もあった。

 

どんな成功者が住んでいるのかな…とか、気になったけど。

出入りしている人は大体お年寄りが多い。

 

こんな規模のお家達が10年後、20年後に譲渡されるのか売られるのか空き家になるのか…。

家主を無くす時代が一気にやってくるのかな。と、ドキドキした。

 

様々なお家を拝見して、自分がどれに住みたい?と、なると実際どれも嫌だ。

 

広すぎて手入れが行き届かないのも嫌だし、いうて田舎ではないので隣接して建てられている。

 

私だったら、家でバーベキューや花火をやっても煙でご迷惑をかけない距離で家を建てたい。

規模は2LDK〜3LDKくらいでいいし。

 

交通の便は電車やバスに殆ど乗らないので、特に重視しないけど、コンビニやショッピングモールは近隣に欲しい。

 

あと、大きな公園はマスト。

 

欲を言えば田舎特有のしがらみや、わずらわしさが無ければもっといい。

自治会は支払いと見回りくらいはやるけど、祭りやイベントには出ない。

 

そんな感じの至って普通な街に住みたい。

 

車中泊で日本中回っていたことがあるが、首都圏以外は概ね希望通りだった。

 

私的には、縁もゆかりもないが鳥取や愛媛や岡山方面は好きだ。

四国も好きだし、お遍路行きたい。

また、中国地方も山が大変だったけど好きな地方。

 

ただ、まだ本土から出てないので、沖縄とか北海道も回ってみたい。

 

消去法で行くと、東京、埼玉、神奈川、静岡、新潟、関西圏は非常に苦手だった…。

ランキングでは下位だが、茨木や群馬はさほど嫌いじゃない。

 

群馬は確かに風が…とは思ったけど、茨木はむしろ好きだ。

石川、山形、岩手、青森は海外に来たようなアウェイ感を感じた…。

 

日本中見て、その土地の風土や人当りを肌で感じて、人生の最終地に決められたら幸せなのかもなって思う。

 

 

今現在出来ることとしてこだわるとしたら、富士山の見える場所に住んでいたいと思う。

 

 

 

テレビジョン

最近ニュースでは悲しい事件や事故、戦争の話ばかりでいたたまれない。

 

この「ニュース(報道、メディア)」て、結局何のためにあるんだ???

 

て、考える。

そもそもは井戸端会議の発展だろう。

 

かわら版などの注意喚起からの好奇心の穴埋。

 

最近では注意喚起では収まらず、SNSが発展し、見ず知らず同士の意見交換が活発化されたため、ただでさえ「テレビの中の出来事」だった感覚に、勝手な同調や罵詈雑言、果ては考察まで加わり、事実とは湾曲した視点でリアルが「エンターテイメント化」している気がする。

 

これって狂気の沙汰だ。

 

以前、デモ行進が「ファッション化」してないか?

と、問題提起したことがある。

 

要は「参加しました」の史実が重要で「やった感出したいだけ」という事実。

写経なしの御朱印のような。

 

あたかも加担した風で、SNSに載せたいだけとか、ただのストレス発散の場でした。というオチ。

 

よく言う「歌ってみた」動画とやってること変わらない。みたいな。

世界のデモ行進ガチ勢はひとりひとりが死にものぐるいだ。

 

こういう本質を知らずに、お祭り好きのへずまりゅうが量産されたところで問題は何も進展しない。

ガヤが騒いだだけだ。雑魚。

 

基だが、その進展を知りたいのは関係者さん達だけであり、その傷をえぐるように毎日代わり映えの市内風景の中「私達は全力で心配しています」顔で日本中に適当なことを喋っているリポーターに問いたい。

 

それでも番組の最後はお天気お姉さんに繋がるんですよ。って。

 

つまり、次から次へトピックスが上がり、司会者も情緒不安定な人間がごとく喜怒哀楽でその場を凌ぐ。

 

誰も本気じゃない。

ただ他人の興味を惹きそうな話題をかき集め、公開処刑に処するだけのお仕事。

 

これを当たり前のように我々は見て、「怖いわねー可愛そうねー、ほらっご飯ちゃんと食べなさい!」って日常に挟んで適当にコメントして流し見るだけの他人事。

 

そうやって他人の不幸を見ながら食卓を囲んだり、今日は見つかったかなー?程度の興味本位でYahooニュースを開く。

 

…虚しい。

 

これって今の時代、本当に必要なのだろうか???

 

自分や家族がなにかに巻き込まれたとして、どっかのアホウがスマホで動画投稿して、全国に放送されて、どこの馬の骨とも知らぬコメンテーターに惨事を好き勝手言われたら、私は自分の全てが崩壊すると思う。

 

それこそ関係者への恨みつらみどころではない。

トラックに爆弾詰めて局に突っ込むくらいの実行力も得るだろう。

 

だって放送されたら隠すものはない。

 

不慮の事故であったり、行方不明の方の安否を全国放送したり、ネットで共有するのやめませんか…。我々は何も手助けできないんです。

 

ご当人の意志が反映されるのであれば必要かもしれないけど…。

 

今どきのテレビジョンは、もっとエンターテイメントに力を入れたり、情報誌のような物であってほしい。

 

ただの負の好奇心を煽るものや、昔からやってるから変わらず放送するけど。みたいな趣旨で馬鹿の一つ覚えを続けるなら辞めましょう。

 

視野を広げてみよう。

見ているものも所詮自分。

 

そんな番組の司会者だって蔑まれる。

よくコロコロ仕切れるよな。って人間性疑われる。

 

こんな些細な怒りが連鎖しうる社会になったと、それこそアンテナ張って気づいてほしい。

 

 

今現在脅威なのは数だ。