ASDのただの主婦

       ASD診断前から診断後も続投ブログ。ASD目線だからこんな思考だったと後からわかるの巻。

斎藤茂太さん

月末から公私共に忙しく、併せてパーソナリティ障害を併発していたことが発覚。

もちろん治療はしていないので、現在進行系。

 

自分がよくわからなくなってきた。

 

20代後半よりアダルトチルドレンがベースとなり様々な診断を受けたが、だいたい乗り越えた。

 

ただ、PTSDだけはいくつになっても抜けねえな。と、悩んでいる。

 

真剣に話そうとすると涙が止まらず(楽しい会話でも、仕事でも)大きな音には相変わらず弱くて、花火大会とかクソ食らえだ。ディズニーであれ、顔が硬直してしまう。

 

とにかく顔に出るから、他人に指摘されていて気づく。

 

というかんじで症状を含めて自覚しているので、勝手に「治った!」と思っていた矢先で凹んだ。

 

良かれと思って詰め込んだ家族旅行…良かれと思って施錠確認を何回もしていた毎日…健康だと思って長居しているスパ…(違うか)そこで必死に洗い続ける私。「それは病気です」ってレッテル貼られると、「じゃあ本当の私は?」ってよくわからなくなる。

 

全てが自分の意志ではなく、見えない台本通りに考えている。

 

子どもにも、前より随分いいし自覚して治そうとしている意識があるなら大丈夫だよ。って言ってもらえ嬉しいのだが、そんな母でごめんなさい。私さえいなければ…ってまた始まる。

 

本気で自分のポンコツ加減が、他人の人生の足を引っ張っているようで面目ない。

 

かつてはその根源は父親だーー!!

と、怒りが溢れていたが、今は溶岩もしっかり固まり無に。

 

許すわけではないが、過去に囚われていたら今も無い。

とりあえず前に進むしか。

 

また、学習障害もパーソナリティ障害の一環ではとの説も浮上。

 

要は私ができないのは一部だけだ。

トム・クルーズみたいに字が読めないから、読んでもらって覚える方もいるが、私は頭に入らないから映像で記憶する。

 

でも、実際読めないわけでは無く「理解できない」が、本質で実のところ人の説明もわからないので、自分が一度勝手な解釈で咀嚼して、再度できてないところを指摘され覚える感じ。

 

つまりそこで「さっき説明したよね。聞いてないの?」とか言われることが多くて、対人関係も常に警戒心バリバリ。

地が完璧主義なので失敗は許されない矛盾も生じる。

 

疲れる。一人が楽。

 

対人関係が減り、コミュニケーション能力もスライム並みに。

 

負のスパイラルだ。

 

だから、意図してではないが起業は正解だったと思う。

全ての基準が自分の考えであり、関わる他人は取引相手か部下だ。

 

対等ではない分、気が楽になる。

余計な詮索も見栄も無いし。

 

でも、かつて病みきっていた頃。

シングルで強豪スポーツチームの保護者で役員掛け持ちして。

 

自分以外のことで翻弄してきた頃、ひたすら対人関係から回避しようと読んでいた自己啓発本があった。

 

もちろん流し読み。頭に入らず、自己満足。

 

そんな中出会った「斎藤茂太」さんの本。

 

三浦瑠麗さんが如く頭にすんなり入る文章で、何冊も何冊も買って両親にも送った。

何かを変えたくてもがいていた。

 

最近、10年ぶりくらいにモタさんの本を見つけ「新刊かな?」ってワクワクして読んでいた。

自分の生活や奥さんとの思い出がかいてあり、何だかほっこりした本だった。

 

でも、その時初めて本の帯を見て気づいた。

過去にも何度も見ていたはずなのに。

 

 

モタさんは2006年には亡くなっていた。

 

 

あんなに読んでいた(つもり)なのに気づかなかった。

認めたくなかったのかな。

 

モタさんの本は辛いときの支えで、自分を守るお守りでした。

 

 

なんだか辛い事がある時、お勧めな本です。