ASDのただの主婦

       ASD診断前から診断後も続投ブログ。ASD目線だからこんな思考だったと後からわかるの巻。

ブログの公開の意味

かれこれ3年近くブログを更新し続けている。

ここ最近は毎日のように上げていて、振り返ると「意味」がわからなくなる。

そもそも、「自分の心情の変化」を客観視したくて始めたブログ。

書き続けることに意味はあるが「公開」の意図はなんぞや。不明である。

 

私の場合、コメントも封印している。アフェリエイトも無い。

完全に外界をシャットダウンし、一方的に言いたいこと言ってるだけのおばちゃんと化している。

 

また、内容も「話題性のあるもの」に焦点が当たると、私の中の「ひろゆき氏」みたいな天邪鬼が斜め視点から切り込んでくる。

要は「受け止め方が素直じゃない」これもASDの特性にあるわけだが、これに同じASDの「議論好き」が乗っかると、延々と持論を繰り返してしまう。

 

…これを公開している意図とは。

 

そしてたまに挟む「家族のあれこれ」

いるか?

 

更に言うと、「読者を意識した様なくだり」

恥ずかしいだけな気が。

 

例えばお店を開業する時、ターゲットを絞り「顧客に合わせたニーズ」を考慮し、方針を一本化する。

このブログに置き換えると「ターゲットも絞らず」「読者に合わせず」方針が枝分かれ。何しとん。と、なるわけだ。

 

これをたまに気づいて、「公開」しなくてよくね?と、手が止まる。

 

実際、最近も毎日書き続けているが公開せずに終わっているネタが何本もある。

…公開しないのに書き続けて、消えていく文章なんか時間の無駄でしか無い。

 

う〜ん…。

 

でも最近知ったのだが、実は「書くことでストレスを発散する」という「メンタルコントロール」があるのだ。

更に「捨てる」事でネガティブを払いのける効果もある事実。

 

…私が無意識でしていた行為は、この「ジャーナリング」という「書く瞑想」だったわけだ。

 

心の拠り所…ってことッ?(ハチワレ)

これは辞めちゃいけない気がする…。

 

そして一通り「答え」が出たところで、「公開する意味」には触れずに終わっとく…。

やりっぱなしだな。何れまた。